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『「カルト」はすぐ隣に』

ホンとの本

『「カルト」はすぐ隣に』
江川紹子
岩波ジュニア新書896
\900+
2019.6.

 江川紹子さんと聞いて、この本に何が書いてあるのかが分かる人は、事件当時をご存じの方であろう。自ら命を狙われつつも、冷静に事件の背景についてテレビの各番組で解説を加え、また被害が拡がらないようにと誠実に訴えていた、あの人である。この6月に、私が待ち望んでいたタイプの本を書いてくれた。若い世代に、危機管理能力を養うに相応しい、命懸けのレポートと提言である。
 1995年3月。まだ阪神淡路大震災の傷が癒えない時。被災者支援や救援もまだようやく広がり始めたというところへ、水を差すようにして東京をパニックに陥れた集団の犯罪が起こったのである。世に言う「地下鉄サリン事件」である。
 実行犯は組織のメンバーで、その団体名は「オウム真理教」。いまの小中学生も、名前だけは知っているようだ。しかし、何をしたのかということの詳細や、ましてそのような組織に自分もいとも簡単に誘われて入ってしまう可能性をもっている、という恐ろしさについては、全く知らないのが実情である。本書は、そのような中高生に、あるいは大学生に、精一杯の注意を促し、少しでもそうなるのを防ぐ心構えや考え方のヒントを提供している。
 事件は、地下鉄サリン事件に限らない。死亡した信者の死体を焼却したことに始まり、信徒を殺害し、教団の問題を見抜いていた坂本弁護士一家を惨殺し、政治権力をもつために総選挙に出馬して惨敗したあたりから過激さが増し、細菌兵器撒布計画などテロ計画を進める。熊本県波野村の土地を取得し、そこで兵器開発をする予定が住民の反対にあい、撤退。但しこのときに波野村から和解金を得る形をとり、資金源となったことは否めない。山梨県上九一色村(当時)にいわば工場を建て、そこでサリンの製造を行っていたことになる。
 本書のサブタイトルは「オウムに引き寄せられた若者たち」と付けられている。本書発行のちょうど一年前の7月、豪雨災害に隠れるかのように、オウム真理教の教祖・麻原彰晃(本名:松本智津夫)を初めとする事件の実行犯の死刑が執行された。すでに東京拘置所から全国各地の拘置所に移送されていたことから、死刑執行が近いことは予想されていたが、一日に7人執行というのは驚いた。福岡では、最高齢の幹部・早川紀代秀の刑が執行されている。また、その二十日後、残る6人の死刑囚の刑が執行された。さらに今なお6人が無期懲役刑で服役しており、191人が有罪判決が確定しているという。如何にこの組織が犯罪に暴走していたかが分かるというものだ。
 オウム真理教を生んだ時代背景を描写した後は、無期懲役刑で服役中のひとりの手記が紹介される。すでに手記を書いているというが、この本のために書き下ろした部分も含まれている。ほかは、取材によって分かった、死刑囚たちの生い立ちや、どのようにしたこの組織に入っていったのか、などがレポートされる。そして、事件後逮捕されて目が覚めてからの出来事をいくつか描くと、カルトの恐ろしさを振り返るという形になっている。
 こう見てくると、遠い物語のように読者は見るかもしれない。実はそれが一番恐ろしいことである。それが起こらないように、できるだけ等身大の、普通の真面目な青年たちが何により人生を狂わされたのか、何を大切にしていればよかったのか、を著者は追究しようとしているのである。そしていまの若い世代に、その恐ろしさを知ってほしい、防いでほしい、と言っている。いまもなお、オウム真理教という名の団体でなく、またそれとは関係なしに、カルトと呼ばれて仕方がない組織はいくらでもあるのだから。
 私は、いろいろあって、このカルトというものには、かなり関わりがある。そんなものには引っかかりはしないさ、と思うのは、なりすましの詐欺などと同じで、自分は引っかからない、と思っている者が一番危ないこと、それは引っかかってみないことには気がつかないものである。福音的な、あるいは自由主義的でもよいのだが、穏やかで幸せな信仰生活に恵まれたキリスト者も大いに気をつけなければならない、というのが、私からのせめてものアドバイスである。名前を出さないが、様々なカルト集団と内外で接触した経験があるからである。
 だから、若いクリスチャンこそ、本書にぜひ触れてほしいと思う。聖書を信仰しているから大丈夫、そんなことはない。オウム真理教にしても、宗教たるものについて無知であった優等生たちが、次々と、これが救いだ、とのめりこみ、心をコントロールされていったのだ。聖書を信仰しているドイツ人がかつてどうしてヒトラーに熱中したのか、あれが他人事であるはずないではないか。
 この本のメインは、オウム真理教の実行犯の貴重な告白、つまり取材から分かった当人の生い立ち、または手記などであるように見える。そして、ジュニア新書らしく、若い世代の人々が、カルト宗教に引き寄せられないように、見分ける注意点や大切にしておくべきことを強調している。それでもまた、巧みに狙われ迫られるということに、十分に釘を刺しておくことも忘れていない。
 ひとつ、よいヒントがある。ダライ・ラマに、まっとうな宗教とカルト宗教との見分け方を、江川紹子さんが尋ねたとき、こう答えを受けたのだという。「studyとlearnの違いです」――ただ倣うことで習い覚えるのが後者であるが、前者は疑問を抱き課題を見つけ多角的に検証する営みを含むものであるという。聖書をただ素直に言われるままに信仰するというのは、麗しいことのようであるが、批判的精神が何もないままにそうしていては、やがて人間関係に問題を抱えたとき、別の教えにいとも簡単に魂を奪われてしまうこともあり得るだろう。現にパウロも、なんて簡単に違う教えに流されていくのだ、と書簡で嘆いていた。
 こうしたことが目的である新書である。だから、事件のほうに触れる幅が少なくなってしまったのはやむを得ないが、地下鉄サリン事件そのものについても、その怖さが果たして十分伝わったかどうかは分からない。松本サリン事件についてはほんとうにわずかな記述しかなかった。マスコミが疑った特定の方を、人々が犯人とまた決めつけ、被害者を加害者のように責め立てたことについては、述べる余地がなかったのは確かだ。主旨が違うからと言えばそれまでなので仕方がにないが、よかったら、次の機会に、そうした面からもこの教団を扱った、青少年向けのメッセージを送って戴きたいと思った。
 まず、被害者にならないように、という願いから、本書はつくられていると思う。被害者になったら、次は加害者となるというところが辛いのである。この点はまだ、本書はカバーしていたように思う。しかし、松本サリン事件の時のように、傍観しているだけのつもりの私たち一般の者たちが、意識しないままに加害者となるのだ、という点に踏み込むのは、ここでは無理であった。それを、次に期待している、というわけなのである。




Takapan
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