本

『十字架と薔薇』

ホンとの本

『十字架と薔薇』
松浦純
岩波書店
\1850+
1994.3.

 2017年はルターによる宗教改革から500年という記念すべき年として数えられる。そのために、というわけではないが、別の方の本を見ているうち、ルター神学というものについて少し知りたいと思い、探していたらこの本に出合った。
 もちろんこれは、薔薇十字団の話ではない。それよりも100年ほど前のこと。それは今から499年前の万聖節前夜祭に因み、修道士マルティン・ルターが95箇条のテーゼを公にしたという逸話から始まった大きな波の物語である。歴史的な情景は史料からはよく分からないものの、果たしてプロテスタントと称する私たちが、どれほどのその95箇条を読んでいるかどうか、怪しくはないだろううか。かくいう私も、通して見たのは最近のことである。
 ルターの紋章は、いまもルーテル系の教会で掲げられてる。薔薇の中にハートと十字架があるというもので、本書はその紋章のデザインを題としている。副題に「知られざるルター」とあり、学術的水準の高い本となっている。そのため、読みこなすのは大変であろうと思われるが、決して論文というようなことはなく、一般書なので、親しめるような話題や、ルターの足跡を辿るなど、読みやすくなるように配慮されている。
 プロテスタント教会に属する者として、知るべきはルターの思想で十分だということでもない。また、それを金科玉条のように掲げる必要もない。カルヴァンを以てプロテスタント信仰は構築されたとも言われるが、もちろんカルヴァンがすべてというのも言い過ぎである。ルターはルターで、聖書を翻訳しただけのことはあり、まだまだ私たちの目の前にそびえる大きな塔である面は否めない。それは、FEBCで放送されたインタビューで、青野太潮氏が語っていたように、ルターは聖書を予断なく読んでいた点に学ぶ必要がある、という指摘からもうかがえるのだ。
 本書は、ルターの言明を「パラドクサ(パラドックス)」をキーワードに展開している。嘘だろう、と思われるような言明を、よく考えれば実はそういうことなのだ、というふうに持っていく、逆説の手法である。一歩間違えれば、それは奇を衒っただけのものとなるが、ルターが安っぽいテクニックを自慢しようとしているなどとは考えられない。神の真実の中に、そういう面があるということは、信仰生活をしていると確かに分かる。正しいと思い込んでいるとその誤りを教えられ、誤りだと速断していることが後に真実だと教えられるのが常だ。要するに、人間が判断することなど、その程度のものだということである。
 ルターの神学を「関係性」の中で捉えたところには、はっとさせられた。また、そのように言い切ることで、信仰の重要な部分を、言語的に捉えたような気がしてきたことは大きな意味がある。そうしてそこからまた自由の問題へと至る道筋がを提示される。自由ということも、実にパラドキシカルなものだからだ。
 いまだに、ごく一部ではあるが、中学校の教科書にある程度のエピソードで宗教改革を話す説教が見受けられるプロテスタント教会から脱皮するために、2016年の今からすればこうした20年前の本ではあるにせよ、これから刺激を受けてみては如何だろうか。もちろん、2017年の宗教改革500年を控えて、様々な新しい研究や提言が出ており、またこれからも出てくることだろうから、改めてルターに注目するというのも、必要なことではないかと思っている。少なくともプロテスタント信仰を自負するからには。




Takapan
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