本

『十字架の七つの言葉 改訂新版』

ホンとの本

『十字架の七つの言葉 改訂新版』
西谷幸介
ヨベル
\1500+
2015.10.

 イエスが十字架の上で発した言葉が福音書の各書から七つ集められるというのは、いつからなのか知らないが、古くからキリスト者が注目していたことは間違いない。七という数字が、完全数であることからも、これは好都合なとであった。信徒はイエスの、苦しみの極みの中で発されたこれらの言葉から、いくらでも黙想し続けることもできた。それはいまもなおそうである。
 ここに、七つの言葉を取り上げた本がある。さぞ神秘的な、あるいは敬虔で高潔な思いを育むものであるかと推測させるに値するが、副題が付いている。「キリスト教信仰入門」である。
 神学的な学究はもちろん身についているが、大学教授としてはマネジメントなどを司る著者である。牧会的な視点というよりも、聖書と神学の観点を保ちつつ、やはりそこは教育的な視点で記されていると見るべきであろう。従って、実に読みやすく、予備知識が少ないことを見越して、高校生か大学生であれば十分読み進めることができるような内容になっている。
 だから、信仰や神学ということももちろん悪いものではないが、より私が注目できたのは、教育的な側面であった。たとえばキリスト教用語については、基本的に初めて出会うであろうというような前提で構え、何やら訳が分からないという印象を読者がもつより先に、その意味を何らかの形で示しておく。考えてみれば、教室における講義なり授業であれば、これはごく当たり前の配慮である。しかし、著述業の方々はえてして、その配慮を欠く。一定の知識がある者ばかりが本を読む、と決めてかかっているかのように、自分のペースで書き進めてあるものが多い。しかし本書は、キリスト教について知識のない人に向けて、配慮をするところから始まっている。
 それと共にユニークなのが、この十字架の上での七つの言葉を大胆に掲げることで、キリスト教全体の入門としようというのである。それは、知識を伝えようとする姿勢からすれば無謀である。聖書はそれらの言葉だけで尽きるものではない。だが、信仰は違う。副題にあるのは「信仰入門」である。聖書を紹介しようとするのではない。聖書を信仰するとはどういうことなのかを明らかにしようというのである。この著者の意図を、キリスト教に関心があって本書を手に取る人はおそらく解することができない。信仰であれば、十字架から語れるのである。そして信仰の要であると言えるのである。
 さすがに、それだけで尽くすのは難しいのであろう、最後に、新約聖書についてと旧約聖書についてと、短い章を立てている。そもそも聖書は、という辺りを押さえるのに付け加えられたような観がある。もしかすると、なしでもよかったかもしれない、と思うのは、私が黙想のほうに傾いたからであろうか。七つの言葉についての、学生へそのまま講義しても形になるような話だけで終わっても、十分信仰入門にはなったことだろうと思うが、そこはその入門書を完結するために、してもよかったことだろう。
 いくらかやはり大学の講義としての雰囲気を保ちつつ、学生が学問のようにして聴講しているような内実を伴う文面が続くようではあったが、クリスチャンが読めば、これは相当に内に秘めた情熱があるものだと感じ取ることができよう。なんとか福音を伝えようとする著者の熱い気持ちが伝わってくる。時に、やや一本道かなと見られるところがないわけではないが、それも一つの論理を通すためであろう。逆に、欲張ってあれやこれやの問題に触れていくと、ビギナーの視点が定まらない。これくらいの勢いでまとめ上げて、それでよかったのではないかと感じた。
 洗礼準備会や学びのテキストとしての需要が高いという。改訂を三版まで加え、その後に表紙を替えるなどして、新版と称される現在のものとなった。新版の内容は三版と同じであるという。霊的・神秘的な領域に走らず、しかし客観的資料として扱う学問のもつ距離感とも違う、理知的でしかも信仰からの伝道の秘めた情熱に満ちている本であるという気がした。学生にぴったりだと思うが、アダルトの方々も、案外よいのではないだろうか。比較的薄くてマイナーではあるが、これはなかなか人の救いのためにも用いられる類の入門書であると思う。それでいて、十字架なのである。復活ですらなく。いまいちど十字架について、信徒は黙想を日々の中で営むべきである。




Takapan
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