本

『CREDO わたしは信じます、わたしたちは信じます』

ホンとの本

『CREDO わたしは信じます、わたしたちは信じます』
教皇フランシスコ:マルコ・ポッツァ
安倍仲麻呂訳・解説
ドン・ボスコ社
\1200+
2022.1.

 タイトルに「教皇フランシスコとマルコ・ポッツァ師との対話」と置かれている。章毎に、その対話と、教皇の講話とが交互に織りなす形で、いわゆる「使徒信条」が細かく検討されてゆく。
 今どきにしては、比較的安価な設定だが、文字が大きくてゆったりとしている構成だから、量的にはとても多いというわけではない。だが、じっくりと導き手が話題を振り、それに対して教皇が応えるという呼吸が、なかなか見事であって、観客として見ているだけで、けっこう楽しめる。いや、そんな不敬な態度をとって物見を楽しんでいるつもりはない。楽しいというのは、信仰について確かに学ぶという意味である。
 紹介が遅れたが、タイトルの「CREDO」はラテン語である。カトリック教会では、つい何十年か前まで、ラテン語が礼拝の公用語であった。神学用語もラテン語で口にするわけで、半ば常識として知られていた。「信じる」という言葉であり、「信じて受け容れる」という意味であり、つまりは「使徒信条」のことを指すようになったものである。だから、サブタイトルに「わたしは信じます、わたしたちは信じます」と付せられているのである。この「わたし」と「わたしたち」の並列もなかなか練られている。信仰は個人の告白であると共に、同胞たる人々の集まりである教会の告白であるはずだからである。特にカトリックには、その意味合いが強く出されるはずである。
 本書は、「使徒信条」について、一つひとつゆっくりとその言葉に留まりつつ、対話がなされる構成になっている。否、対話というよりは、いま挙げたように、聞き手が教皇からうまく聞き出すというふうに言ったほうがよいかもしれない。
 ここから「クレド」と呼ぶことにするが、クレドの構成について、24頁のところに、訳者の解釈による図が置かれている。簡単な構造の図示ではあるが、要点をよく捉えており、このように眺めてみると、確かにクレドの意味合いが分かりやすくなると思う。古代の人は、このような図示はしなかっただろうとは思うが、自然とその霊的な示され方によって、こうした言葉を連ねてきたのだろうか。
 二人の対話は例示に富み、具体的で分かりやすい説明がなされる。そして教皇の講話がメッセージとして告げられる。そのどれもが、ふむふむと読み過ごしてしまいたくなるほどに、信仰の糧を得ようとするときには、抵抗なく流れてくる。もちろん専門的な人の目から見れば、そこにカトリック教会の今日置かれた立場や、フランシスコ教皇の思想が滲み出ているものであろうし、政治的にどう言うべきか思案しての発言ではないかと勘ぐるような言葉も見つかるであろう。
 しかし、教皇は世界のカトリック信徒の信仰を導くのが職務である。確かに政治や経済に関わるような発言についていろいろ言われることがあるが、平和の実現や幸福の達成のために、聖書が、そして神が与えてくれた知恵を語ることによって、世界中のクリスチャンの信仰の霊的な支えあるいは促しをもたらさなければならない。その意味では、プロテスタントの信徒にも無縁なのではない。信仰とは何か。その信仰を、この世に対してどのように用いるべきなのか。そうした問題意識は、カトリックもプロテスタントも違いはない。私はカトリックの霊的な黙想のようなものも好きである。修道院のような生活を好ましいとは思わないが、それを使命として受け止めて実践している人には敬意を払いたい。また、世の光としての働きに於いては、感謝したいと思っている。
 この信仰の受け止め方の中で、やはり大きく心に残るべき箇所がある。それは、最後に置かれた訳者の「解説」の中でも注目されているが、教皇フランシスコが幾度も繰り返し口にした、異様なフレーズがあるのだ。それは「神は『いつくしみをもち続けるという病気』にかかっている」というものであ。訳者のまとめによると、その意味は、「神は、一人ひとりの人間を大切に気づかうあまり、相手のどのような罪をもゆるし、ひたすら受け留めて抱きしめるお方である」ということに外ならない。なかなかこの捉え方は、プロテスタントでは聞かれない。同じ「使徒信条」について一言ずつ黙想のように綴ってゆく本であっても、私は聞いたことがない。それとも、カトリックにおいても、このフランシスコ教皇の発言は、特別なものだったのだろうか。
 神学や論理で片づけようとする癖がついていないか、私たちは反省する必要があるだろう。ここにあるのは、霊的な捉え方である。正に聖霊がもたらす世界である。プロテスタントが、もしかすると忘れてしまいそうになっていないか、少し危惧する思いも与えられた。これはまたぱらぱらとでもいいから開いて、刺激を受け続けたい本だと思った。
 フランシスコ教皇が亡くなったとの知らせで、以前から読みたかったものを、急いで取り寄せた。存命のときに読むと、もっとよかったかもしれないが、これはこれで、私には相応しい「時」であったと受け止めることにしよう。




Takapan
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