本

『コロナ禍の臨床を問う こころの科学Special issue』

ホンとの本

『コロナ禍の臨床を問う こころの科学Special issue』
井原裕・斎藤環・松本俊彦監修
日本評論社
\1600+
2021.2.

 通常の発行形態と異なり、A5版と小さなサイズで、ハンディになっている。連載記事も編集メッセージもなく、ただ臨床各部門における現状報告や問題指摘の小論文原稿だけを集めている形である。
 もちろん単独著者が意見を深めていく本はありがたいのだが、このようにあちこちにおける実情と、それぞれの場面での考えなどが並列されていると、多様な現実を知ることができるので、私はそれはそれで好きである。しかも短い原稿の中でなんとか自身の知るところ、思うところを伝えようとするために、凝縮した形でエッセンスがこめられており、丁寧に読むことにより、その背後の気持ちをも感じ取ることができると信じている。こちらにその能力や感性があるかどうかが問われるのであるが。
 大きくテーマ分けがしてあるのは親切である。集まった原稿を、およそ見る視野によってまとめて私たちに提示してくれる。その項目というのは、「パンデミックと精神医学」「コロナ禍の現場で」「オンラインと精神療法」「公衆衛生と生活」という四つである。そのため、本書もできれば順番通りに読んでいくことが望ましいと思われる。あるいは、せめてその項目内をまとめて辿ることで、その問題のいくつかの視点が提供されるであろう。
 精神療法の専門家ではないし、私は素人もいいところである。ただ、関心はある。そしてここには、医院という場に留まらず、学校において、あるいは問題を抱える人々の姿が、ふだん明らかにされない場面において示されるために、深い悩みや苦難が偲ばれるということになる。
 特に、最後のほうにあったが、夜の街への非常事態宣言の圧迫と、いわばナンセンスな政策や対策を指摘するものは、なかなか他では聞かれない、しかし大切な声であり、唸ってしまうインパクトがたくさんあって、衝撃的でもあった。
 確かに、慎重であることは悪いことではない。だが、慎重であるあまり、あまり根拠のないことを強要して、その人の生きる権利を奪うようなことを命じたり、今度はそれを正当に否むような人を、公私様々な形で一斉に叩いていくようなことをしたりするのは、ヘイトスピーチそのものではないか、と言うのである。そこには、コミュニケーションを断つ残酷さがある。コミュニケーションの成立には五段階あるとこの原稿は教えてくれているが、それは、「情報の伝達」「意見の交換」「相互の理解」「責任の共有」「信頼の構築」の順であるという。これは良いことを教えてもらったと思った。そして、私もまたこのヘイトスピーチの中に加わっていないか、あるいはその先頭に立っていたのではないか、と自らを省みる機会となった。
 その具体例としては、実際クラスターの発生は、いわゆる夜の街において、女子が遊ぶホストクラブでは発生しているが、男たちが遊ぶ風俗店では発生していないという点の指摘がある。これは聞いたことがない情報であった。そう、その感染原因はキスなのだという。唾液中にはウイルスが大量に存在するからだ。こういう現場で治療していない人たちには分からないようなこうした情報が、これまで言語化されていなかったという。これがひとつの、「情報の伝達」というコミュニケーションのスタートであったのだ。
 臨床で得られた情報は、プライバシーもあり、安易には公開できないだろう。だが、できる範囲で、こうした情報を教えてくれるというのは、ありがたい。また、必要なことであろう。こうしたメディアの情報は、無責任なデマをばらまくSNSより重要である。だが現実には、こうしたデマのほうがどんどん広まり、信用されている。私たちは、何か間違っているような気がしてならない。




Takapan
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