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本

『新型コロナと向き合う』

ホンとの本

『新型コロナと向き合う』
横倉義武
岩波新書1900
\860+
2021.10.

 2020年半ばまで日本医師会の会長をしていた人が、2020年からのコロナ禍における医療活動の実情を明らかにした新書である。ニュースの表には現れてこない政府と医師会との関係ややりとりも随所で描かれており、貴重な記録となっていると見受けられる。
 そして特に「かかりつけ医」という立場から、最後は今後の医療との関わりとして、「かかりつけ医」の重要さを力説するものとなっている。  概ね、現場にいない人は、軽々しく政治や実行者を批判する。いや、批判に留まらず、非難が実のところ多い。現場を知らずに、そして自分は安全な所にいながら、なぜこうなんだ、もっとできなかったのか、と安易に意見を述べるものである。それは、他者の至らないところを指摘することで、言うほうが正しいということを示そうとする心理にもよるものと私は見ている。
 だが、医療従事者や保健関係は、これ以上ないというほど献身的に対処したし、また本書が発行された後も、し続けている。そして本書を見る限り、医師会からの提言や要請に対して、政府もできる限りの応答をしているように見受けられる。事実そうなのだろうと思う。行政も、手を拱いていたわけではない。ただ、近年経験したことがない事態であっただけに、確かに結果的にうまくいかないこともあった。しかし、そのうまくいかなかったことをことさらに取り上げて、政府は何もしていない、などとマスコミが叩くとすれば、全く言論に値しない恥ずかしいことだと私も思う。
 本書はそうした批判をしようとする姿勢は微塵も見せない。この困難の中で何を考えどう動いたか、それをずっと綴ってあるのを見ると、本当に頭が下がる。ワイドショーが騒ぐ裏側で、どんなに苦労して、祈るように走り回っていたかを知ると、表面的なことで知ったかぶりをしていた私たち、そしてテレビに出てくる有名人というのが、実に恥ずかしくなってくる。だから、こうした背後でのやりとりを知ると、正義漢ぶっていかにもの正論をまき散らしていたマスコミの軽薄さと弊害とをつくづく思い知らされるような気がする。もちろんそのマスコミに踊らされて騒いでいた、知識人や民間評論家も同じである。そして、私たちも。
 とにかくまずは、感染症の存在が明らかになってから半年間のドキュメントから始まる。緊張感漂う記述だが、医師会も国も、初期のときから全力で立ち向かっていたことが分かる。
 そうした現場について網羅するためには、とても新書では足らない。本書は、医療現場での慌ただしさをリポートするものではない。指揮官たる立場から、いったい何ができたのか、できなかったのか、そうしたことを通知するものである。徹底して情報収集のやり方や指揮系統での相談や動きなどを、冷静に一つひとつ報告しているのであるから、かなり貴重な資料となるのではないかと思う。
 こうして、2020年の1ヶ月毎に、何がなされたか、何が準備されたかなどが明らかになっていく。すると、表に出る前から相当に可能性が検討され、準備がなされていたかを読者は知ることになる。できる限りのことはしていたし、手を打っていたことを知ると、感動すら覚える。
 こうして最初の半年の動きを示すと、次は項目毎に、何が考えられていたかを教えてくれる。PCR検査数があまり伸びなかった背景や、医療崩壊の危機の実情が語られる。くり返すが、現場の危機的な状況を画にしてテレビに映す、そういった手法ではない。感情を動かすような画を求めるのではなく、トップがどう動き方針を定めていくのか、それと情況との関係などを描くのである。それは、財源問題ももちろんそうである。ワクチンは基本的に打ってもらいたいが、もしもの場合の保障など、すべては法律を検討したり、新法をつくったりすることによって対応していくことになる。この手続きは、政府の大事な仕事であるし、そのための根拠や資料を提供したり、要請したりするのは、医療のトップたる者の重大な仕事である。
 もちろん、コロナ禍になって初めてばたばたと動き始めていた訳ではない。ひとつに重要だったのは、東日本大震災であったようだ。ここで災害救助に動くための手段が講じられた。そのための法律が定められた。それがあってこそ、災害としてのコロナ禍において、とりあえず動く態勢ができていたことになる。ふだんから、疫病に対する手は、やはり打たれていたのである。一般市民が、それを深刻に考える機会を完全に失っていただけのことなのだ。
 2021年9月まで、不安な様相を目にしながら、本書の執筆はいったん切り上げて、上梓することとなっている。この先の事実を記録するのは、私たちである。
 最終章で、サブタイトルにも付けられていた「かかりつけ医」の提言がなされる。頁数からすると25頁ほどでしかないが、筆者がかねてから構想していたことや、呼びかけていた「かかりつけ医」の制度とその効用について、熱く語られる。それは、やはり医師であった筆者の父親の姿から始まるものであった。終戦の前年に生まれた筆者が、戦後私財を擲ち医療のために献身的に働き尽くしていた父親の姿を鑑としていることがよく伝わってくる。国も動けなかった。人々は金も満足にもっていなかった。しかし衛生概念の普及という教育的な配慮も含めて、よくぞ働けたというほど、父親は医師として見事な働きをしていたというのだ。
 いま著者は、福岡県のみやま市で、ヨコクラ病院の理事長を務めている。父親も福岡で医師として働いており、著者の出身は福岡市である。私も福岡の者として、この地でこうした働きがなされていたことを誇らしく思う。
 くり返すが、センセーショナルな内幕を期待するのであれば、本書はその人には無用である。だが、医療とその制度を支えるということはどういうことか、大きな影響を与える決定はどのようになされるべきなのか、それを考えたいためには、本書は恰好の書であると思う。こういう良質な報告が、私たちの社会には、本当は必要なのではないか、と気づかされる。売らんかなの耳目を惹くためのものに惑わされないことが、非常時にこそ、必要なのではないかと思い知らされるのであった。
 と、持ち上げすぎたかもしれないが、それくらい私が、政治の背後の動きについて、実は知らないし、知ろうともしていなかったことの反省をこめての感想である。現実にコロナ対策がうまくいったのか、それでよかったのか、その検証はこれから先に必要となるだろう。またこれまででも、現場と司令部との間で考えのズレがあったことも推測される。本書が現場の考え方と合うのかどうか、それも分からないため、検証は幅広く行われるべきであろう。(実際この対策そのものが、継続中なのである。)




Takapan
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