本

『珈琲の世界史』

ホンとの本

『珈琲の世界史』
旦部幸博
講談社現代新書2445
\800+
2017.10.

 この著者の『コーヒー おいしさの方程式』を知っている。コーヒーとはこんなにも奥深く、科学的な理由があるのだと驚いたことがある。もはや自分の好みだけて毎朝淹れている私など、無知もいいところだと愕然としたのを覚えている。もう参りましたというところであった。
 その著者が、新刊を出すというのを偶然知り、楽しみにしていた。今度は新書である。しかも「世界史」だといい、歴史に特化したコーヒー物語であるらしい。手に取ると、これまでの書では、科学的なコーヒーの側面、またおいしい淹れ方などを書いてきたものの、そこに当然混じえてこようと考えていたコーヒーの歴史が、ページ数の関係から全くと言っていいほど含めることができなかったため、歴史だけをこうして収めた本を作ることができたと書かれてある。確かに、この本には淹れ方などは全くない。ひたすらコーヒーの歴史が書いてある。
 それも、実にマニアックなほとだ。著者は、自分歴史にいては詳しくないので著すのが大変だったというようなことを漏らしているが、とんでもない、この詳しさはただごとではない。また、感心したのは、その叙述の巧みさである。簡潔で、要領を得ており、無駄がない。筋の通ったその書き方にも、ただただ敬服するのみである。
 きっと、語りだしたら止まらないタイプなのだろう。「まえがき」だけで9ページというのは、新書にはあまりないように思う。そこだけで物語るかのように、前置きが展開するのだ。そこから目次か始まり、細かな文字でたくさんの情報が詰まっている。実際、新書一冊にこれほどの情報が詰まった本があっただろうかと驚いている。
 コーヒーの始まりは、少年が興奮した山羊をみつけて云々、などとものの本には書いてあり、またコーヒーについて詳しく書かれてあるような本にもたいてい紹介されているものだが、この著者からするとそんなことはない。諸説について紹介し、それはいろいろな国によってまた異なることが述べられる。多くの国の言葉を学び、文献にあたり、日本の本には見られないが、などと断って海外での常識も紹介する。実に見事である。そう、コーヒーの起源ももちろん定かではないし、品種も文化も異なる中で、様々な歴史があるのである。それらを網羅しようと務め、あちこちのエピソードをふんだんに繰り出してくるのであるから、読者は振り回される一方である。だがそれによる疲れは、楽しい疲れである。コーヒーのマニアックな知識のシャワーを、こんなにも浴びられる機会はそうあるものではない。
 国の政治の中でコーヒーがどう関わるか、あるいは歴史を変えたコーヒーの話など、歴史に詳しくない者でも楽しめるし、逆に歴史を学んで理解できるという機会にもなる。コーヒーの歴史が、奴隷労働から移り変わろうとする中で、経済的背景が変わり、生産国もどんどん変わっていく。だからいま、ベトナムが最大級のコーヒー産地であるということも、私は認識がなかった。確かに、多いとは感じていたが、アジアだから偶々日本において多いのだろうというくらいに思っていたが、違ったのだ。
 私がひたすら飲むマンデリンも、どう始まり、どう変遷したかも書いてある。高級品とされた理由や、それが栽培された背景そのものもすべて説明済みである。いまやブルーマウンテンで満足できる市場ではない。ゲイシャは決して芸者ではないのだか、コーヒー豆店で聞くその豆の特徴や背景も当然描かれている。
 コーヒーの淹れ方についてももちろん書かれてあるし、どうしてアメリカンコーヒーが薄いのかの理由も明確であった。スタバの誕生とその変遷、新たなコーヒーブームの内容や理由と、興味は尽きない。なんでも書いてある。これ一冊で800円などというのは、大安売りもいいところである。最後の参考文献を見るだけでも、本書が如何に優れた内容であるかが分かるであろう。
 69ページにも記されているが、今度は短い「おわりに」にも、福岡の珈琲美美の店主・森光宗男さんのことが挙げられている。著者のいわば師匠であるというのだ。実は私が高校生のとき、初めて珈琲というものを教えてくれたのか、この方であった。目の前で膨らんでいくドリップの豆を見て感動し、コーヒーはすばらしい、と知った情景が、目の前にありありと浮かんでくる。それ以来、私はコーヒーを飲んでいることになる。私は何の知識も経験もないが、本書とは他人のつながりでない思いがするのは、珈琲美美の故であると思われてならない。




Takapan
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