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『中高生からの論文入門』

ホンとの本

『中高生からの論文入門』
小笠原喜康・片岡則夫
講談社現代新書2511
\840+
2019.1.

 論文の書き方という本はたくさんある。大学生が、レポートや論文を書く必要に迫られたものの、どのように書いてよいのか分からないので買い求める、という辺りを狙ったものが多い。だが、高校生、いや中学生をターゲットにした「論文入門」というのは殆ど聞いたことがない。そもそも中高生で「論文」という概念が存在するのだろうか。まずそこから疑問に思うものである。
 もちろん、ニーズがないところにこういう企画は現れない。だがやはり「論文」となると手強い。その点、「はじめに」にはちゃんと訳が書いてある。2021年から大学入試が大きく変わる。そしてそれを睨みつつ、高校もだが、小中学校も授業の内容や方針が大きく変わってきている。すでに高校入試も、その何年も前から大きく様変わりしているのである。
 知識を多く蓄えているかどうかが試された従来の傾向に比較すると、明らかに、表現力や構成力を求めている。いまや検索機能を使えば、知識を引き出してくることは造作ないものとなった。情報の信用性に関するリテラシーは当然必要だが、知識そのものを頭に叩き込むことに労力を使うことは、人間にとり無駄とも言えるように思えるレベルに、情報技術が日常的なものとなってしまった。しかしそのリテラシーもそうだが、情報をどう利用するか、については、倫理的な側面も含めて、まだ課題が解決できていないどころか、何が課題であるかも定まっているとは言えない状態である。
 回りくどくなったが、こうした建前的な背景があることはその通りであるにしても、実は要するにプレゼンテーションの能力を国家は求めているともいわれる。外国語の実用的な能力の点でも、プレゼン能力の点でも、これはグローバルな時代に、有利な折衝や交渉をもつために欠かせない能力であり、それの要請が早急に求められているわけである。
 論文にしてもそうである。一定の構成を図り、主張を効果的に形にする。ディベートがその場での力だとすると、研究能力と原稿作成能力としての「論文」は、ひとつには有力な開発されるべき分野であると言えるのだ。
 中高生から、少しでも養うべきだ。こうした声をもつ著者たちが、そうした声の存在が世にあることを確認した上で、教育的配慮のために、本書をつくりあげた。大学生のために書かれていたようなことを、中高生の視線の中に置いたということである。
 それは大学生と何が違うのであろうか。恐らく、テーマの選び方であると思う。書き方のルールそのものについては、本書にもあるが、かなり本格的である。だが、テーマと内容については、中高生は当然大学生とは異なる。つまり、学問的な意味をもたせるというよりは、身近な疑問や調べてみようと思ったことについて、何らかの「研究」と呼べるような形にするにはどういうものであるのが望ましいか、ということを教える、そういうレベルに留まってしまうのである。また、それでよいと思う。同じ中高生の関心についても、テーマとして成立しないものとするものとがある。そして、「調べました」というだけでは成立しない、「論文」という世界の暗黙の約束がある。こうした点を伝えるために、本書はかなり丁寧にスペースを割き、説明を繰り返している。そのような配慮をひしひしと感じるので、非情に良心的な作品となっているように思われる。
 書き方のルールもある。しかしまた、作成へ向けての時間的な計画の立て方や、調べ方、組み立て方など、細かな配慮が行きとどいていると思う。また、アンケートのやり方や図書の借り方、フィールドワークの方法など、起こり得る様々な状況に触れているのが親切である。その際、アンケートの難しさからお勧めしないなど、実際的なアドバイスも多い。それに対して、参考図書の見つけ方や取り寄せ方などは懇切丁寧だと思うし、フィールドワークはとても素晴らしいことだという勧めは、検索で終わらせようとするかもしれない若い世代に、本当によい刺激であろうと思う。
 但し、これは「論文」について経験と知識のある私だから、そのように思えるのかもしれない、という懸念も残る。つまり、具体的な「例」による説明が少ないのだ。もちろん新書というフィールドの故に、そのスペースが取れないことは承知している。アポの取り方のようなことについての細かな指導はとてもよいのだが、「論文」として例えばこのようなものは良いがこのようなものは問題がある、といった、初心者に分かりやすい具体的な作品の例を用いての説明に乏しいのである。つまり、説明の内容が、かなり抽象的な表現になっている、ということである。
 だから、本当に中高生にこれで書けるものなのかどうか、そこは疑問が残る。調べ方や活動の仕方については手順がよく分かるが、作品としての「論文」そのものの姿が見えてこない、というわけである。そこで、タイトルに反して、これはむしろ「大学生の」と受け止めて大学生が見たらどうだろうか、と私は感じた。もちろん、テーマの選び方は大学生のものは本書のものとは違う。しかし、その点を除けば、実際ちょっと書いてみてうまくいかなかった、大学生にとって、なるほどと実感を以て思えるようなものになっているのではないか、と考えるのである。むしろ平易に、中学生でも読みうるように考えて作られているものであるから、それだけ、本書を読むことについてのハードルが下がる。これがいいのではないかと思うのだ。そもそも「論文の書き方」という本自体が読みづらくて意味が分からない、という事態が、いまの普通の風景ではないだろうか。読解力の危機が叫ばれている昨今であるから、実のところ、東大などではない大学生が、この「中高生」のためのものを読むのが、案外ちょうどよいと言えるのではないかと私は感じたのである。




Takapan
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