『教会は初めてのあなたへ 32人の牧師からの手紙』
小林よう子編
日本キリスト教団出版局
\1300+
2025.5.
一般の図書館に入っていたことで知った新刊本だった。日本キリスト教団出版局の月刊誌『こころの友』に連載されていた記事を編集して単行本化したものだという。従って、ひとつの手紙は3頁と分量的には定型である。内容に於いても、二つの見出しを呈する形が定着していると見た。これは、新共同訳以来の聖書の「見出し」のようにも見える。手紙を書いた本人が付けたものではないのだろう。
同様に、各手紙に付けられた標題も、どうなのだろうかと思う。例えば最初のものには、「教会をあなたの休憩地点に」という題が付けられている。それから、「走り続けているあなたへ」と、封筒のイラストと共に、第二の題が掲げられている。最初の題は、この手紙全体の要点が記され、封筒のイラストと共にある第二の題は、一般的に、どのような境遇の人に向けて宛てられたものであるか、を表していると推測される。
たとえば、題が「信仰者の強さというものが、あるとしたら」となっているものは、その「強さ」のことが説かれた手紙であるわけで、第二の題の「家族を不条理な出来事で亡くしたあなたへ」というのは、そうした立場に置かれた人にぴったりの内容、というふうに見えるわけである。
ただ、「はじめに」には、このような説明はない。
確かに、編集者による「はじめに」では、「この本は、教会に行ってみようかな、と考えておられるあなたのための本です」と書き始められており、本書の眼目がやさしい言葉でしたためられている。そもそも「教会」とは何か、教会は「礼拝」を大切にすること、「牧師」のしていること、といったふうに、教会外部の人が抱くような素朴な疑問について、簡潔に説明しているメリットは強く感じることができる。
また、教会に来る人は「神に招かれた人」のことだ、というスタンスは、どの牧師も共通にコンセプトとして有しているようで、語りかけるその言葉は、何かを論じた文章よりは、よほど親しみやすい。一人ひとり、誰か思い出すある方へ宛てたことを想定して綴られており、非常に具体的な経緯が(もちろんプライバシーに配慮しつつ)描かれているが、だからこそ逆に存在感があり、読む人は、それが自分だというわけではないのに、何かしら呼びかけられているように感じるものなのであろうと思われる。
しかし、「タイトルなどを見て、気になるところから自由に読んでみる」ことを薦めているものの、その「など」が恐らくその第二の題のことであろう点を考えると、目次に、その第二の題も掲げて欲しかったと思う。そうしたら、「洗礼を受けたらどうなるか気になっているあなたへ」「教会に慣れず、戸惑っているあなたへ」「さまざまな市民運動に携わるあなたへ」「小学校に行かなくなったあなたへ」「家族と同居しているけれど寂しいあなたへ」「ひきこもっているあなたへ」など、何かしら目を惹くところがはっきり見えやすかったのではないか、と思うのだ。
「同性を好きなあなたへ」と「自分の性の在り方に悩んでいるあなたへ」と、二つ、LGBTQに関する手紙があった。牧師自身も当事者であるという含みがあるものもあったが、この辺りは時代的なものであったかもしれない。雑誌連載は2023年から2025年。教団の中でも、そうした意見が認められるようになってきていることを感じさせる。聖餐の問題ではごたごたを呈しているようであるが、こうした内部の考え方は、それほどはっきりとは世の中に訴えられてはいないようにも感じられる。罪責告白などについても時間がかかった歴史があるし、沖縄問題にはさらに問題を抱えていたという事実もあるわけだが、最初は寄せ集めのように始まった教団であるが故に、その辺りがもたもたしてしまうのかどうなのか、私には分からない。ただ、日本の「キリスト教会」を何らかの形で代表する組織であることは確かである。人権に関することや、戦争に関すること、またもしかすると時には政治に関することについても、まとまった意見の表明があった方がよい場合もあるのではないだろうか。
最後の「あとがき」には、教会に実際に行くときの心得のようなものが簡単に記されている。ちょっとした図解やイラストのようなものが配置できなかったか、と今どきの案内本にしては余りに素っ気ないような気もする。仕方ないといえば仕方ないのであるが、牧師の顔写真とその封筒のイラストの他には、全く図柄もイラストもない本であり、かすかに表紙が、教会に集まる人の様子を大きく描いているのを覗けば、味気ない印象は拭えないだろう。
公共の図書館が取り入れたほど、一般的な意味を醸し出す本である。私の後、誰か必要な人の手に握られたらよいだろう、と願う。

た
か
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