本

『中国という世界』

ホンとの本

『中国という世界』
竹内実
岩波新書1174
\819
2009.2

 サブタイトルが、「人・風土・近代」。実に地味な表看板である。近年、新書の題は長くなる傾向にあり、それも「なぜ〜か」と、具体的なタイトルで人目を惹くのが売るテクだとされている。もはや抽象概念が題では、分かってもらえないのである。そこへきて、このタイトル、このサブタイトルである。岩波新書の姿勢がこうやって硬いものであることを、一ファンとしてはうれしく思う。
 これは中国を紹介する本である。著者は「チュウゴク」とカタカナで記す。その理由も最初のところに書いてある。厳密な重さを拒んだ姿勢なのだ。世界最大の国家、数奇な運命を辿り、文化の古さとそれを近代的に換えてきたが西洋色に染まることがなく、いわば独特の路線を貫いてきたチュウゴク。このチュウゴクは、どこへ行こうとしているのか、著者は問い、求める。
 そのアプローチがユニークである。先ず、「人」に迫る。人を表す漢字に始まり、家族についての解説が長い。その程度のことかと思われるかもしれないが、中国の家族制度について具体的なこれほどにまで紹介してくれる本というのは、私は初めて見る思いがした。英雄でもないし、知恵者でもない。たんに家族はどういうもので、日常の生活風景はどのようなものであったのか、それを教えてくれる情報は、それほど多くないのではないか。
 次が地形。国土の地形の説明などだるいように予断するものだが、これがまた厭きさせない。
 圧巻は近代である。ここには、類書にはなかなかないのだという説明が後で付けられているのを見たが、上海を様々な角度から描いている。女性を取り上げて描くあたりは、著者の関心事の一つであるそうなのだが、読むだけで私たちはわくわくしてくる。中国の近代文化はこのようにして育ってきたのだ。
 チュウゴクは、明るく、軽い喜びの世界へ向かう、というふうな意味のことが最後に告げられる。それは、個人の楽しみというレベルのことを言っているのではない。それは、共に受ける楽しみである。
 四川省の地震をも、タイムリーな話題として痛みを覚えつつ触れていくが、やはりあまり小さな存在しての人々のことをゆっくり取り扱うことはできない。著者は、必ずしも庶民の眼差しを共有しているのではないかもしれない。中国には十億単位の人がいるわけだが、そこには多くの貧困層とされる立場の人々がいる。それをあまり大きく取り上げてはいないのかもしれない。むしろ、中国の歴史や文化に、ちょいとゲスト参加しては様子をレポートする、といった形で、興味深くそれらを紹介してくれたものだと私は捉えている。
 そしてこの本の長所の一つは、索引が充実していることだ。これが調えられている点で、読者のことをよく考えてくれているものだと感心する。こうありたいものだ。




Takapan
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