本

『「超」文章法』

ホンとの本

『「超」文章法』
野口悠紀雄
中公新書1662
\780+
2002.10.

 かつて「超」整理法で日本中に整理ブームを巻き起こした著者は、その後もビジネスパーソンの情報整理についてカリスマ的影響を与え続けてきたが、その9年後に、このそもそもの「文章法」を出した。私はこれを出したときにはこの本の存在に気づいていなかった。それがそのずいぶん後になって、目に付いた。子どもたちに、作文を教えるようになった時である。
 情報整理についてのノウハウは、その人の経験に基づくことが多く、また扱う分野によって、受け取る側に合う合わないがいろいろある。野口氏は経済学であり、私の関心分野とは全く違う。だが、かの整理法は試してみて、なるほどと思えたし、今回の文章についても、ごもっとも、というほかないことが多々あった。
 この時期、パソコンが普及し始めている。もちろん、それは一部のことではあったが、こうした情報通の人は、必ず出てすぐに手を出すはずである。私がそうであった。まだ「文作くん」が開発され、部屋に広がる機器をも背景に文章をつくるといったニュースすら流れていた、その後のことである。いまの高級パソコンが買えるほどの値段で当時、小さなワープロを手に入れた。奨学金様々であった。富士通の親指シフトは相当に早く打てたので、いまそれが殆どなくなっているのは寂しい。
 本書でも、パソコンが文書作成について革命的に変えたと評価している。その通りである。修正や編集が自在になった。紙に書いていたころとはもう比較しようがないほどである。それは、文章の書き方をも変えるであろうと言っているが、いまやその変わったほうが当然のことのようになってしまった。しかし当時としてはやはり慧眼であったと言わざるをえない。パソコン活字には心がこもっていない、などという声も当時あったというが、それに対する皮肉交じりの批判は、私もそう思っていたし、くすりと笑ってしまった。
 さて、本書が伝授する文章法については、ここですべてを明かすつもりはない。それはお読みくださいというほかない。
 ただ、大人向けのものとはいえ、私が小学生に教えるにあたり、自分で考えていた文章のコツのようなものについても、裏打ちしてくれる声が多々あって、心強く思った。プロットにしてもそうだが、一文を短くするということ、それは読む側の理解のためであることなど、その通りである。私はこのネット記事では、それをわざと破壊していることもあるので、おまえは自分のしていることが分かっているのかよ、との批判もあろうかと思うが、時と場合であるとご容赦戴きたい。また、結論を先に決めていくというのも、先般子どもたちに向けて書いたとおりであったので、嬉しく読んだ次第である。
 誤解を招いてはいけないので加えておくが、筆者は何も、経済学の文章を書くためにアドバイスしているのではなく、ビジネスの現場だけにしか役立たないものを提供しているのでもない。もちろん、ここでいう「文章」とは、文学的作品のことではない。それでも、文学者の書いた「文章読本」には広く目を通しているし、その人たちがどのようなことを主張しているかについても理解し、また批評を加えている。文学について考えるときとは視点が違うけれども、一読して筋の通った論理的な文章を書くという現場のための文章読本として、本書は一定の価値をいまも持ち続けていられるのではないかと思われる。
 いやいや、この「思われる」や「と言われている」のような書き方は、著者の最も嫌うところだ。本書で目立つのは、そのような、「私はこれが嫌いである」というようなフレーズである。「それはだめだ」とまではあまり書かない。控えめであるが、言いたいことは「だめだ」であるに違いない。何かの主張をするための文章において、言い逃れをする心理を毛嫌いしているのである。「専門ではないのだが」などという前触れの中に、どんな心理が隠れているのかも暴いている。私は拍手を贈った。私もそうだといつもいつも思っているからだ。こうした「タブー」ばかり集めてみると、著者の考えも分かるというものだが、それ以前に、人間観察のためにも非常に役立つものと言えるに違いない。本書ではそうした狡い書き方を「キツネ文」と呼んだり、「主語述語失踪事件」だの「現役効果(自分がいつも意識の中にもっているからこそ目に付き気づくこと)」だのと言ったりして、ネーミングがお得意な様子が窺える。
 各章には「まとめ」が置かれている。これが実はたいへんありがたい。本書のサブタイトルは「伝えたいことをどう書くか」となっているが、こうした「まとめ」の中にも、このポリシーがしっかり生かされているのを見るのは、誠実さというものを感じてとてもよい。また、引用や説明に、聖書がかなり多く用いられているのは、私にとり気持ちがよい。よく学ばれ、適切に書かれているように思われて、頼もしい。やはり国際的に業績を挙げるにはどうしても聖書についての知識は必要になるのだと思われる。キリスト者ではないが、こうしたリスペクトをもってくれるのは、やはり内心うれしいものである。
 良いことばかりが書いてあるわけではない。悪文の書き方のような頁もあり、細かく見ると実に楽しい一冊である。原稿を書く者の心理や仕事の進め方なども、ここまで言っていいのかと思えるほどに暴露しているところがあるので、物書きにしてみれば、誰もばらさないそうしたところを知って、自分の心の中のもやもやが解消されるということがあるかもしれない。そんな楽しみもたくさんあり、わくわくと読める文章法の本である。文章の書き方について通り一遍の面白くないものばかり見てがっかりしている人には、強くお薦めしたい。




Takapan
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