『マンガ 茶の湯入門』
千葉猷道監修・さとうたかし作画
平凡社
\920
1988.5
古い本なので、この欄には適切でない本であるかもしれない。
しかも、マンガである。マンガが悪いというのではなく、マンガは俎に載せにくいという意味で、私はなるべく避けてきた。数冊は書いたが。
この本が、実に面白かったので、紹介するという次第である。
最初から最後まで、ひとつのストーリーがある中で、茶の湯というものの細かな部分まで、よく描かれている。私は茶道については全く何も知らないに等しいが、その私が楽しめたのだから、本物である、というわけだ。
大門と小林という若い男性社員が、ふとしたことから茶の湯の席に行く羽目になる。二人とも茶の湯などまるで知らない。社内では窓際だが博識な山田というベテランにアドバイスを受け、まずは出席。その後、興味をもった二人は、茶道の心得のある山田に学び従っていく。……とはいえ、あくまでこれは軽い笑いを絶やさないタッチで読める漫画である。肩に力は入らない。これは、作者の味というものだろう。
茶の湯の歴史から作法はもちろん教えてくれるが、さらに、そこに一番大切なものが、もてなしの心であることも、きっちり伝わってくる。また、ストーリーを補うかのように、時々コラムがあり、その読み物で、読者の知識も増し加わるようになっている。
形から入ることの大切さもあれば、そこにどんな意味があるかも教えてくれるので、マンガという軽い媒体によって、茶の湯の精神がどんどん伝わってくる。もちろん、それは、曲がりなりにもわびさび文化に生きている私たちだからこそであるかもしれないが、そういうことだったのか、と膝を打つような思いで読み進むのも、一つの快感だと言えるかもしれない。
なぜ図書館でこの本を手に取ったかというと、礼拝説教の中で、牧師が、茶の湯のことにちらりと触れたからである。千利休が、キリスト教と接点があることは近年有名になってきたが、茶道の作法やしきたりの中に、カトリックと共通するものや、聖書を思わせるようなものが、いくつも見出されている。牧師は、そのうちの「にじり口」のことに触れたのである。
このマンガによる入門は、キリスト教の視点では書かれていないが、それでも、茶巾のたたみ方のところで、一度それとの関係に触れているところがある。
監修者ゆえに表千家の立場から書かれているが、茶道各派のことも公平に語らせ、とにかく茶の湯そのものを啓蒙的に広めるために一役買っている。新たな分野についても、こんなに分かりやすい読み物があると、助かると思う。
ということは、教会や聖書についても、もっと楽しい入門書がありうるのではないか、というところまで、思いが進むのであった。