本

『災害の襲うとき カタストロフィの精神医学』

ホンとの本

『災害の襲うとき カタストロフィの精神医学』
ビヴァリー・ラファエル
石丸正訳
みすず書房
\3000+
1989.1.

 きっかけは、安克昌さんの『心の傷を癒すということ(新増補版)』であった。2020年にこの人のテレビドラマが放送されたことにより、そのドラマについての内容を大幅に含ませた形で、かつての本を新増補版として出版したのである。阪神淡路大震災のときに、心のケアに尽力し、災害についての精神医学を世に訴えた人物である。
 この本の中で、阪神淡路大震災の現場で人と接していく中で、安先生が特に一冊の本を頼りにしていることが見て取れた。それが本書である。あの震災の数年前に出版されていて、自分の専門に関わることとして、きっと熟読していたことだろう。それを引用し、また参考にしながら、大震災の現場で人を助け続けた。
 そうると、私もこのラファエルの本とはどのようなものなのだろうか、と関心を懐く。自分の専門分野ではないので、万一非常に高価であれば諦めるが、中古で手に入る範囲にあれば、読んでみたいと思った。すると、本代として150円ほど、送料・手数料が300円で届けてもらえることが分かった。これはもう読むしかない。こうして入手したのである。
 みすず書房のこのような本の装丁は、哲学関係の本を読み慣れているのでだいたい想像できた。しかし、索引を含めると500頁を超えるというのは見事だった。
 やはりこれは、予防精神医学の分野では必読の書であるらしい。災害がもたらす人間の心の問題を、様々な角度から検討する。それで分厚くなったのも頷ける。
 オーストラリアにおける災害の事例は、現場に実際に行って調べた、また人々を助けたという体験に基づく。支援がそのまま研究となり、研究が次の支援につながる。こうして、徹底的に事実を洗うことで、それまで誰も気づかなかったようなことが明るみに出るようになる。
 そもそも災害とは何か。こうした点から始まるあたりが、本格的な学術書であることの宣言でもある。また、一言で災害という言葉で括り扱うことはできず、災害と呼ばれる出来事の中でも、いろいろな型やケースがあることを認識していく。ハリケーンのような予報があれば、来るまでの時間をどう過ごすか、またその時の心理はどうか、という検討が可能である。しかし突然の地震とあっては、予知や準備というものが考えづらく、事後どうなるかという点で、悪いことにならないように手を打っていくことが必要になる。また、症状が現れたときに適切にすぐに対処することが求められる。
 自ら身体的に傷ついたとき、かけがえのない人を喪ったとき、住む家をなくしたとき、避難所のようにそれまで知らなかった他人との共同生活が強いられるとき、それぞれ置かれた人間の心理はすべて全く違うであろう。
 もちろん、一人ひとり心理は違うのだが、おおまかにでも配慮しなければならない点は存在する。特に本書では、子どもに対する対応がかなり詳しく扱われていように私は感じた。当然ではある。言語化できないくらいに、自分の気持ちを受け止められない子どもが、体や行動の反応によって、何かを訴えることがあろう。言葉にする代わりに、その行動で示すのである。たとえば安先生のドラマの中でも、大震災で被災した避難所で、子どもが、地震ごっこをするシーンがあった。大人はそんなものをされると不愉快だからやめろと怒鳴る。だが、子どもにとり、そのような振る舞いをすることで、乗り越えていこうとしていく段階にあるのだと理解すると、対処も違ってくるであろう。子どもばかりではない。老人だったらどのように考えがちであるのか。そう、2016年の熊本の地震では、益城町の丘の箇所で多くの古い民家が潰れた。やはり高齢者が多い地域だった。避難所で暮らすことそのものもストレスだっただろうが、昔の人はまだいくらか強い。ただ、新しい家を建てて住もうとする気力がそこに生まれるか、と考えると、難しいものがある。高齢の立場でそれは考えにくいことなのである。では遠く離れた地にいる子どもたちのところに行くのか。しかし自分の住み慣れた土地からわざわざ離れていくという気持ちも起こりづらいだろう。
 このようにして、被災者を助ける、災害においてまずはそれを考えて然るべきであろう。そのための支援はどうあるべきか。実際、救援者というものがそこにいる。だが、救援者はただの助けるスーパースターなのだろうか。悲惨な事故や災害の現場で、遺体の処理を続ける救援者の心のケアはどうなるのか。案外それは今でも見過ごされている。だが、ラファエル教授は、そこを非常に重く見る。慧眼である。これもまた、現場での経験があるからである。著者自身も、これに鬱々とした思いに見舞われた経験があるのである。
 さらに、災害を受けた社会自体も、病む。経済的に打撃を受けるなどのこともあろうし、援助する政策に追われる立場の人々の動きも、平常はなかったものとなる。精神衛生のための業務が発生するだろうし、心を病む人々の精神衛生のための動きを続けていかなければならない。そして、地域もだがこれに対する政治家一般の動き、考えるべきことや、考えていくであろうようなこと、にまで言及するのが、本書のまた優れたところであるといえる。災害の心理として、そこまで考慮に入れていくということである。
 このようにして、災害は、個人だけではなく、グループだけでなく、地域のみでもなく、もっともっと大きな関連網の中で捉えていく、心的事象となりうる。苦しむのは人である。傷つくのは、モノだけではなく、人の心でもある。過去の事例は悲しい出来事である。しかし、その出来事をしっかりと回顧し、検証していくことによって、未来の災害に備え、また対処していくことができる。それが少しでもできるぞという希望も生じる。それができるのは、人間の豊かな想像力である。もしそうなったらどうなるか。そこで著者が最後に大きく気にしているのは、核戦争である。人間のもつ残虐性と攻撃的な衝動が到達しうる極点を示すものである、と言っている。しかしそんなエネルギーがあるのだったら、それを社会に役立つように、災害についての認識と、予防のために用いるべきなのだ。
 これを読んだ安先生が、阪神淡路大震災で、壊れかけた人の心を救った。また、その働きにより、PTSDについて人々が知り、考えるようになれた。その源泉を知ることができて、この本に出会ってよかった、としみじみ思った。




Takapan
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