本

『ネコのアリストテレス』

ホンとの本

『ネコのアリストテレス』
ディック・キング=スミス作
ボブ・グラハム絵
石隨じゅん訳
評論社
\1365
2008.10

 ネコには命が九つあるという。英語でそういう意味の諺がある。独仏にもあるようだから、なにも英語だけの特権ではないのだが、とにかく、ネコに不思議な力を見出した先人の知恵を物語っているらしい。
 この物語は、そこから始まる。ネコは敏捷性があり高いところから落ちても着地できるなど、なかなか死なないという意味らしい。この言葉を逆手に取って、実はそれはほんとうに九つの命がある、だから死んだネコもまた生き返って……となると、オカルト趣味に走ってしまうであろう。やはりこの物語は、事実死んでしまうことを言うのではなくて、死ぬような目に遭ってもなかなか死ぬことがない、という意味を受けて、子猫のアリストテレスが危ない目に何度も遭うという様子を描いたものである。
 しかし、幼い子だったら、その「9」という回数を心配することだろう。もしかすると、その数を真に受けて、八回危ない目に遭ったら、もう後がない、というふうにどきどきする子どもの気持ちに立って、著者は楽しそうに物語を考えていったのではないだろうか。
 だからこのやんちゃな子猫アリストテレスのお母さんが、九つ命があるという言葉を教えなかったというのは、ほんとうにこの危なっかしい子猫が危ない目に遭わないように、九つもあるんだよなんて無思慮に振る舞わないように、心配していたということを表すものかもしれない。いや、もっと深い愛情もあるだろう。ただ、この諺にひっかけて、様々な思惑と共にこの物語がスタートする、その仕掛けがなんとも言えず楽しい。
 魔女のようなお祖母さんベラ・ドンナに、アリストテレスはもらわれていく。そこで着いたとたんに、危なっかしい目に遭う。たちまち「二つの命を失ったよ」とおばあさんに呆れられる。そうして、短い期間に、次々と命を失っていく。つまり、それは危険な経験をする、ということである。その一つ一つのエピソードが、非常に具体的で、面白い。著者は、長く農業を営んでおり、八十を超えた歳のいまなお動物たちと暮らしているという。そのような経験があるために、ちょっした生態や仕草など、安心して読んでいけるのだから、やはり体験というものは大きな意味がある。
 成長するにつれ、アリストテレスは危ない目にだんだん遭わなくなる。犬との絡みなどで八つ目まで命を失うが、最後の一つはもう失われない。いわば魔女の仕事の手伝いがちゃんとできるようになっていく。それに対して、犬のほうは、命がひとつしかないせいか、一度の苦難で帰らぬ犬となる。
 子どもがこれを読むとき、たぶんアリストテレスに感情移入するだろう。自分もやんちゃをしている。危ない目に遭っても、子どもは無邪気なものである。そうか、こんなふうに心配されているんだ、と自分を少し客観視できるかもしれない。そして、成長して落ち着いていくアリストテレスを見て、自分も大人になれるだろうかという不安が消えていくのではないか。
 さして盛り上がりのない物語のように見えるが、子どもにとり、たいへん心に残る、心の糧となる物語ではないだろうか。こういうお話が書けるお年寄りというのは、ちょっと憧れてしまう。




Takapan
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