本

『病気と社会』

ホンとの本

『病気と社会』
高橋宏
キリスト教図書出版社
\900
1985.4.

 古書店で珍しい本を見つけた。サイズは文庫サイズより大きい、B6である。文庫サイズではないが、無教会文庫だという。内村鑑三の本を含むのかどうか知らないが、その弟子や無教会主義の方々の考えを以て、現実世界に福音伝道の視点で、時代に立ち向かうべく挑むための場であるらしい。
 著者は、福岡歯科大の教授をしていたらしい。「病友」という季刊誌を発行し、新生集会という会を始めたことが、プロフィールから分かる。この個人雑誌に連載したものを基に編集したのが、本書であるとのことだ。
 文章もなかなか読ませるものがあるし、聖書もよく学んでいることが分かる。もちろん医学についてはプロであるが、疫病について関心を深めていったのか、よく歴史を調べている。それから後半部では、水俣病についてよく考え、書物からであろうが、現場の方々の証言を生々しく伝えている。水俣病の記述はかなり多かった。
 言いたいことは、かなりはっきりしている。そのことはもう少し後で触れよう。
 病気の歴史を広く捉え、疾病史を語る。環境問題といういまの視点とは少し違うが、各国の貧困に喘ぐ人々についての見聞を並べ、病気をなくすことは理想のように聞こえるが、病気そのものは必要不可欠でなくなることはないだろうという考えを示す。
 20世紀前半だとまだ深刻だったのだろうが、結核症について暫く説明を加え、当時絶望的な響きで語られていた癌について説く。
 著者は、非常に「罪」というものを重く見る。人間の罪が不幸を呼び、その原因となっている。だから福音を届けなければならない。この思考回路がバックボーンにある。かつての純粋な、というと語弊があるだろうが、かつて信仰者というのは、多くがそう考えていたはずだ。否、いまもそうした人はいるし、これはひとつにはキリスト者が逃げてはならないテーマであると言わなければならないだろう。
 しかし、世は罪だ、と指摘することがその前提にあるわけであるにしても、これを強調することは、いま大いに問題にしなければならないと同時に、ほんとうに世の罪を指摘することが重要なのだろうか、という点については考えていかなければならないと思うのだ。
 というのは本書の場合、この病気そのものを罪だと指摘するような勢いの中に走っていくからだ。人間の行動が、癌細胞のように地球を冒し、破壊へと作用することについては、よく言われることである。私もそうだと思う。そしてそれは罪であるかどうかと言えば、やはり著者と同じように、罪が関わっているだろうと思う。しかし、著者もやはり言うようになるのだが、病気は罪が起こすのだというふうに言うようになると、どうなのか。著者自身、パリサイ人らはイエスの時代に勘違いをしておりイエスの敵であったことを強調し、そこにも罪を見出すのであるが、この辺りで、病気が罪の結果だ、というふうに聞こえるような聞こえ方がしたような気がするのだ。論旨からしても、その向きになるし、読者からすれば、いつしか新約聖書でイエスが闘った、この罪と病気の関係が肯定されているように響いてくるのは、仕方がないように思われもするのだ。
 著者は、世の中で不幸な、理不尽な目に遭っている人の存在を強調する。確かにイエスは人々の罪を負った。だが、イザヤ書の苦難の僕すら、果たしてイエスのことでしかないのかどうか、疑問を挟む。水俣病もそうだが、理不尽な病気や死を背負わされた人々は沢山いるのである。それはイエスの十字架とは異なり、人類を救う力はない。しかし、たとえば私もまたこの世界で苦難を浴びていることがあったとすると、そのことが世を救う力になりうるのだ、と考えているわけである。罪に対して誰かがそれを背負う。いま世界で理不尽にも弱い立場に置かれている人々、貧困に喘ぎ苦しむ人々、その方々が、イエスと同じではないけれども、この世の罪を背負っているのだ。キリスト者も、経済的にどうかは分からないが、自ら負の部分を自らのものとして代わりに背負うことがあればこそ、世に救いの福音を伝えることができるということになるはずなのである。
 そのときに強調するのが、教会は、ただ静かに祈ること、口で救いを喜ぶだけの交わりであってよいはずがない、ということだ。美しい教会堂、平和漂う交わり、そうたことで信仰を満足させるならば、イエスが敵と見なしたユダヤ人たちの記事のその一人となっているだけではないか、というようなことを繰り返すのである。現実に苦しむ人々に本当に近づき、手を差し伸べ、助け起こすような営みが必要なのである。リアルな働きが必要なのである。
 病気についての知識を提供してくれるかのような前半部が、後半部で一気に崩れ、福音伝道と罪の問題に傾いていく。そして口先だけの虚飾の教会ではなく、人を救おうではないか、と呼びかけていく。無教会主義だもの、これは当然の帰結ではあるようだ。




Takapan
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