本

『武士道とキリスト教』

ホンとの本

『武士道とキリスト教』
笹森建美
新潮新書505
\714
2013.1.

 よく存じ上げなかったのだが、なかなか筋の通った方がいたものである。
 小野派一刀流第17代宗家というから、半端ではない。現代の剣豪である。
 この方は、駒場エデン教会の牧師なのだった。
 武士道とキリスト教とは、一見相反するようであるが、そこのつながりを強調している。もとより、日本の「武士道」を海外に広めた新渡戸稲造自身、クェーカーのクリスチャンであり、武士道精神に福音との関係を見出すことなしにはできなかったことだろうと推測される。
 メジャーな新潮新書に現れたことで、多くの方々の目に留まってもらいたいものだ。そして、ともすれば西洋の宗教であるとか、「不思議」であるとか言いたい気持ちでたまらない人々に、日本精神の純粋な部分でキリスト教と大いに通じ合うものがあるということをお考え戴きたいと願うばかりである。つまり、やれ日本文化だとか伝統だとか言う方々が、実のところキリスト教と近い高い精神性をもっているというところを見出して戴きたいのである。
 比較的読みやすい本書において、著者の立場や考え方はよく現れているように思う。まず「武」とは戦いを止めることである、というパラドックス的な表現から本書は始まる。そのときに、新渡戸稲造と内村鑑三が出てくるが、彼らはもちろん日本の先人的なプロテスタント信徒である。明治期のキリスト教の受け容れにおいて、大いなる力を発揮した人である。
 著者は、主日礼拝の午後には武道場に変わるという、その教会について紹介し、また自身の流派の出自について歴史的な背景を説きながら手際よく教えてくれる。もちろん、武士道の精神性について適切な指摘をつねに続けていく。また、幕末から明治における福音の受容の様子をよく調査の上、紹介してくれる。そこには、武士階級がキリスト教に傾いていった様子もよく著されている。
 その上、聖書的な背景と聖書からのメッセージもふんだんに集めた章があり、切腹と愛という観点から、聖書に届きそうな日本の伝統をたっぷりと読者に掲げるのだ。
 もちろん、聖書の告げる福音というものについても、まるで説教のように綴られている部分がある。
 このように見てくると、比較的薄手の新書であるにも拘わらず、この本はひじょうに欲張りな企画、などというと失礼かもしれないが、たくさんの内容や願い、たぶんそれはまた祈りであろうかと思うが、そうしたものを織り込んでいることが分かってくる。
 教会に訪れる、苦難を覚える方々が、聖書により救われていく実例も交えつつ、そしてまた世界情勢との関連も捉えつつ、聖書のエッセンスを証しし、奨励する本にもなっている。一風変わった福音のメッセージであるが、そこは牧師である。適切に語られていることは間違いない。
 これは多く読まれて、武士道と福音と、どちらとも学ぶことができたらいいと思う。キリスト教への誤解ないし偏見が、解かれたら、とも切に願う。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります