本

『バグる脳』

ホンとの本

『バグる脳』
ディーン・ブオノマーノ
柴田裕之訳
河出書房新社
\1800+
2012.12.

 先に読んだ『脳と時間』が面白かったので、同じ著者の、先なる著作ということで見つけて読んでみたというわげてある。当初時間というテーマで選んだ本だったのが、今回はその時間とは関係なく、脳のほうに特化してしまったことになる。体言止めになっている点は違うが、原題もほぼ同じ語からできている。そしてサブタイトルが「脳はけっこう頭が悪い」ときた。コンピュータプログラムのミスをバグというが、どうしても脳には不可解なまずい点があるというのがテーマである。
 間違いは何故起こるのか。脳が何故間違いを犯すのか。これは素朴な日常でありながら、これを説明するというのは実に難しい。論理通りにならないことはどうしてか、ということが理論的にならないのは、ある意味で当たり前なのかもしれないが、これを脳科学並びに心理学から可能な限り説明しようとするものである。それは粋を極めたとは言えない結末かもしれないが、多彩な「誤り」の実情とその背景を探索したという意義は大きいだろう。何よりも読み物として愉快である。
 そう、記憶間違いという、よくある出来事すら、それではそれを脳の機能から説明しろと言われると、相当に難しい問題なのだ。なにしろ、正解というとひとつの道筋で証明が可能であるかもしれないが、誤った道筋を正しく説明するというのは、ありえないくらい困難なものであろう。
 もちろん取り扱うのは、ニューロンの働きである。「発火」と呼ばれるニューロンの作動を、誤る結論、しかも当人は誤っているなどとは微塵も思っていないという事態の生成のために説明に用いるのである。記憶も、予測も人間はまともには使えない。しかし考えてみれば、記憶は何もかもを記憶しているということは不可能であろう。でもふと思い出す痛い記憶というものもあり、果たして記憶は消去され得るものなのか、また消去したつもりであってもまた何かの拍子に思い起こされるというような、コンピュータならばプログラム異常のようなことがどうして起こるのか、興味深い。
 これは、哲学的な議論にも関係してくる。ヒュームは因果関係は人間の心に身についた結びつきではあっても存在物そのものの関係との間に単純に適用はできないだろうと考え、カントはこの説に度肝を抜かれたというような経緯さえある。しかし近年は、それが脳科学で説明しようという動きになってきている。つまり昔ならば人間の理性とか精神とか言っていたものが、すっかり脳というものに置き換わり、脳であれば生理学的あるいは神経学的に物質と細胞の機能によって解明できるという期待が増してきているようなのである。
 話題は、恐怖というあたりで実は相当に面白いものになっていた。ここはもしかすると全体の中では必ずしも大きな部分ではないかもしれないが、人間が特定のものに恐怖を懐くのは、生来のものなのか後天的なものなのかというような話である。しかしこれも、哲学における合理論と経験論が交わした議論の焼き直しのようになりうるものであろう。そして、確率を考えるのに脳が向いていないような件では、確かに数学の確率にあまり納得できないで混乱している学生たちの姿が重なってくるものである。
 こうして、生活の中で見る様々な事象が絡んでくるというのも、さすが脳を扱う分野である。要するに私たちは脳で考えているというのならば、まさにどんな問題でも、ここに関わってくるのである。
 となれば、広告というものが如何に脳に影響を与えるのか、も説明しやすくなる。こうなると、イデオロギーや洗脳についても触れてほしかったが、これは本書では深入りしてはくれなかった。私たちの冒しやすい錯誤というものについても一定の成果があってこそ、人類のためにより役立てる研究となったのではあるまいか。つまりは「失敗学」の大脳生理学的な解明、あるいは探究である。
 最後には宗教の問題になる。神はいるのか。著者は宗教をすべてはねつける。だがそれを信じる者がいるのは事実である。ありもしないことを信じるようになってきた人間をどこか突き放して見ているが、さて、その辺りの見解が適切であるのかどうか、それは本書の読者がそれぞれに考えていかなければならないことであろう。
 特にコンピュータが身近になり、私たちもそのプログラムの仕組みについていくらかの理解を及ぼすことになってきた。脳の機能も、コンピュータに比較されることが多い。神経細胞の連絡と物質の分泌という、唯物的な根拠だけで何もかもを説明してしまおうとすることに、私は懐疑的である。そのように説明している当人も、つまりこの著者もまた、その脳であるのならば、脳が脳を探究して記述してしまえるのかどうか、観念論的な議論がまたここで現れてきてしまいそうなのだ。哲学的テーマをすべてにわたり脳の機能として説明するつもりなのだとしても、究極的にはできないし、それどころか、安易に物質的なメカニズムにしてしまうことは、ひとつの思考実験ではあっても、それ以上のものではないような気がしてならないのだ。
 そして、この検討をしている著者の脳そのものもまた、バグっているかもしれないのである。もちろん、読者としての私も。自身のバグについてバグなく説明するのは、原理的に不可能であるに違いない。話としては面白いが、これまたその言うことに、騙されそうになることには気をつけておかなければならないと思う。




Takapan
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