本

『「少年A」この子を生んで……』

ホンとの本

『「少年A」この子を生んで……』
「少年A」の父母
文藝春秋
\1399
1999.4

 添えられているタイトルは「父と母 悔恨の手記」。
 酒鬼薔薇聖斗――神戸連続児童殺傷事件を犯した、当時14歳の少年の自称である。衝撃的な事件のあらましを、ここで辿ることはしないつもりだ。
 世の中を震え上がらせた当人は、至って冷静であった。取り乱すようなことはなく、さも平然とそれをやってのけ、ばれないことで周りを内心嘲笑っていた。幼稚なあの犯行声明文は、カムフラージュでなく、実際に知識がないのだろうという予想はしていたが、事実成績が振るわず素行に問題があり不登校であった中学生の手によるものであったことは、さすがに私もうろたえた。いや、私自身、そうではないか、と予感はしていた、と言ったほうが正確かもしれない。
 1997年5月、それは起こった。そして、一ヶ月後、少年は逮捕される。震災で懸命に命を見つめていた神戸の人々に、それは言葉にならないダメージを与えた。いや、神戸だけではない。子をもつ親が、立ち尽くしたのだ。
 それから二年、よくぞその両親が、これほどにも事態の背景についての手記を明らかにしてくれたものだと思う。様々な事情があったのかもしれないが、たいへんな苦しみと、それを乗りこえようとする勇気とを感じた。
 父親と母親と、別々に、当時のことや、その後のことを綴ってくれている。
 まったく、身につまされるような書きぶりだ。わが子の奇異さに気づかなかった悔恨があり、また被害者に対する申し訳のなさというか、居場所のなさが繰り返し語られる。
 報道されていたような、単純な親子像でないことも確かだ。マスコミの様子は、あまり好意的には映し出されていない。警察のほうは、かなり配慮してくれたことが書かれている。多方面への配慮があろうから、本当のところどうなのか、それは私にも判断つきかねる。ただ、恐らく執筆している当のご両親自ら気づかないような、ある面もまた、本に現れてしまっているようにも感じられてならない。
 もとより、ご両親を責めるつもりはないし、その資格もない。ただ、ひとつの重大事故の背後に30倍の危ない体験があるというハインリッヒの法則を適用させてもらえば、かの少年Aには、数多くの危ない兆候が、たしかにあったのは事実だ。実際にそれに気づいて詰め寄るというのは、両親には無理な話なのだが、とくにこの母親には、それが見えないだろうというのは、同情に値する。父親もまた、子どもに建前はよく語るが、共に悩んだり考えたりするという、向き合う姿があまり感じられない。そんなに完璧な親を求めるつもりはさらさらないし、おまえはどうだと言われたら、穴に隠れたくなるほどなのであるが、それでも、上滑りで逃げていく親子関係のようなものを、つい感じてしまう。
 母親は、それにも増して、子どもに甘い面をもつように感じる。それは無理からぬことであって、繰り返すが、責めるつもりはない。しかし、子どものよろしくない行動に呼び出しを度々受けた末、どうも子どもに非があることは見ずに、学校に理不尽な要求をしているような面も、この手記から見受けられた。あまり人の背後にまわって思うところを共感しようという姿勢は、感じられなかった。
 少年Aは、やはりどこか並ならぬ面を覚える。私にもそういうところがないわけではない、とした上で、それでもやはり、どこかで歯止めができなかったものかと思う。
 しかし、秋田での事件のように、三十を越えてもなお、同じように道理が分からず子どもを殺す大人が現れるとなると、時代を包む狂気のようなものを、感じてしまう。
 読んでいくことで、ますます気が重くなる。しかし、どうあがいても、ユーモアや気軽さを出してはいけない本である。人の親たる者は、一度読んで損はない。かくいう私も、発刊九年にして、ようやく初めて目を通した本である。機会があったら、読んで自分の体験と重ね合わせてみることにしよう。
 被害者とそのご家族に対して、言葉もありませんが、ただ頭を下げてお伝えしたいような気がします。




Takapan
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