本

『ぼんやりの時間』

ホンとの本

『ぼんやりの時間』
辰濃和男
岩波新書1238
\756
2010.3.

 天声人語記者を長いこと務めた著者が、ぼんやり、あるいはのんびりといった空気をテーマに綴ったエッセイを集めたもの。さすがに筆の流れ、表現の的確さは冴えている。ただ、ここにあるテーマは、ひたすら、急がないこと、ぼんやりしていることである。すぐに私は『モモ』を思い出したが、案の定この話もきっちり取り上げられていた。
 隠棲とでも言うべきか、山中に庵を置きそこに住んでいると説明がなされている。まさに、この「ぼんやり」を生きている著者である。そこから醸し出されてくるものが書けないはずがない。
 最初のほうでは、その「ぼんやり」とはどういうことをいうのか、きちんと用意してある。読者に対して、短文の中で一読して分からせるように伝えることを職業としてきた著者は、この辺りでぬかることはない。定義を見せればよいというものでもないわけで、読者を一瞬にして、その「ぼんやり」の世界に連れて行かなければならない。その技術には脱帽する。いや、それさえも失礼な響きであることだろう。さすが、ということであるし、お見それしました、というのがせいぜいであろうか。
 常識に逆らった人びとの例が取り上げられていく。そうした物語、しかも現実の物語の数々の中で、読者は「ぼんやり」の世界を案内されていく。次に、時間と空間について意識していくコーナーが待っている。なにしろ、ぼんやりするということは、いわば無駄な時間を過ごしていくことに違いない。その無駄という非難をどうかわすことができるであろうか。また、それを味わわせてくれる空間というのには、実際どういう例があるのだろうか。もう、殆ど旅行案内である。
 最後に、面白い企画がある。「ぼんやり」と響き合う一文字、という章が残されていた。そこには「闇」「独」「閑」「怠」「懶」という五つの文字が用意されていた。様々な話題が現れる。その登場さはいかにも唐突で、非論理的でしかないわけなのだが、この本の中に組み込まれると、そこに必然的に置かれなければならないような気になってくる。
 読み終わると、人生の時間が増えたような思いになる。それこそ、『モモ』が闘って獲得したものであったかもしれない。しかし、獲得した時間を、人はまた、せかせかと用いようとするのだろうか。




Takapan
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