本

『僕は、そして僕たちはどう生きるか』

ホンとの本

『僕は、そして僕たちはどう生きるか』
梨木香歩
理論社
\1600+
2011.4.

 いうまでもなく、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』へのレスポンスであり、アンサー文学と言ってよいかと思う。主人公もコペル君としている。但し、いまさら、コペルニクス的転回などという意味の説明を施す必要はない。
 かの『君たちはどう生きるか』は戦争の始まった時代に世に問われ、大いに読まれ、考えさせたものだという。戦争による壊滅が起こる前に、その空気の中で、中学生世代の世界を描き、人生を問うことに挑んだものである。
 だから、本作も、現代、壊滅する前の世界において、人生を問うという意気込みがあることは予想される。但し、極めて物語調であり、『君たちはどう生きるか』のような哲学的問答から構成されているというものではない。日常、と呼ぶには自然の中での生活が多々描かれており、その合間に会話や心理が流れるというようなあたりでしかなく、ひとつ間違うとただのキャンプ小説となってしまうきらいがある。
 それで、というわけではないのだろうが、読者にも賛否両論あるようだ。広くマスコミで話題になったのではなさそうなので、比較的隠れた存在として市井に、見る目をもった人に愛されているのではないかと思われるし、著名作家だからと言って手に取り、がっかりしたという声も聞く。
 清らかなヨモギを求めて親友ユージンの家を訪ねたコペル。叔父のノボちゃんが染織家であるため、その材料を探すことにしたのだ。ユージンは、広い敷地に草花をもつおばあさんがかつていた。そこで幾人かの人物が加わって、まるでキャンプをするみたいに、自然の草花などと出会い、人とも打ち解けていく。
 戦争を目の前にして、どう生きるかを問うた前作から、直接戦争そのものを見ないまでも、一種の戦争のようなものがある現代の不条理や問題の中で、どう生きるのか、考えるきっかけがこのような本ででも与えられたらと願う。それは、「君たちは」というふうにひと並べにしたような若者に問うようなタイトルから、「僕は、そして僕たちは」と、まず自分自身は個人的にどうするのだという問いを受けるようなタイトルにしたあたりにも、現代の問題がかつてと違うようなニュアンスを感じさせる。しかし、昔の場合も、コペル君はしきりに自分で考え抜こうとして、問いかけ、また問われて、悩みながら見出していく過程があった。今回は、そこまで問いを重ねたり、光を見出そうとしていたりしただろうか。
 むしろ、なんとなくこれでいいか、と思わされているうちに、実はただ流されていくだけであって、体制のひとりに自動的に加えられていき、善良な人を殺しさえするような力の一部となってしまっているかもしれないというような、新しい時代の恐怖のからくりをも、私たちは警戒しなければならないだろう。それをどのようにして行うのか。「自分」というものをしっかりつくるぞ、ということではできないから、問題なのである。そのために、自分を見つめるということは、もちろん大切なことである。けれども、自分を意識して確立すればいい、というような、安易な自分エールの世界を取り込むくらい、操る者はとっくに知っている。「どう生きるか」の課題は、実はこの本がまだまだただの入口にすぎないことを弁えなければならない。自分を大切にしよう、というようなことでは、立ち向かえず、たちまち利用されてしまうくらいに、この世界は得体の知れないものに、すでに呑み込まれているのだ。
 私たちは、無邪気に善を行っているつもりで、とてつもない悪に加担しているだけであるかもしれない、という疑いは必要であるし、また必要だと思っていても、それでもなお、加担させられてしまうほどに、恐ろしいものが世界にはある。本書で若い人が刺激を受けたら、ぜひそこからさらに深めてほしい。スタートラインに立つための、準備というくらいに受け止めてくれたら、頼もしいと思う。




Takapan
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