本

『ぼくもぼくのことすき』

ホンとの本

『ぼくもぼくのことすき』
文・野田道子
絵・太田朋
毎日新聞社
\1,200
2003.12

 障害を背負った人が描かれる場合、えてして、特殊な人として登場する。特別な人、可哀相な人、誰かが世話をしなければならない人、そして同情……。たしかに、いたわることは大切だ。しかし、特別視することは、自分たちと一線を画しているという意識が前提で行われていることだ。
 乙武さんの本を読むときにも、私は思いきり笑わせてもらった。個性豊かな一人の若者のユニークな体験として、わくわくして読んだ。これは彼の才能でもあるだろう。そんなふうに、ふつうの仲間として、そこにいるのがさも当然のこととして、ただの個性として、すべてのハンディキャップも捉えられて然るべきなのだろう、といつも思う。
 この本は、実話に基づく「ノンフィクション」童話である。
 小学三年生のユイは、東京から大阪の豊中へ引っ越してくる。犬を飼ってくれる約束だったのに、団地になったのでパパもママも犬のことになると話を逸らす。大人に対する懐疑的な眼差し。さらに、クラスの中で女王様のような女の子にみんな媚びている様子や、自分が仲間はずれにされた姿で、登校拒否さえお越しかける。
 しかし、この学校は、ダウン症や自閉症の子が、別学級ではなく、同じクラスで学んでいる。ユイのクラスにはソウちゃんがいて、よく行方不明になる。ソウちゃんを通じて、クラスは様々な協力を覚えるし、誰もがソウちゃんを同じ仲間だとしてつきあっている。そういうクラス運営を最初は疑問視していたユイのママも、だんだんその良さを理解していく。
 ユイには六年生の兄ちゃんがいる。そのクラスにも、ケンくんという障害をもった子がいる。運動会で勝つために、ケンくんを選手から外すかどうかで子どもたちは激論を交わす。また、その兄ちゃん自身、張り切っていた騎馬戦で、自分が上に乗るのはよいが、その馬の一人にケンくんが当たり、悩む。
 毎朝校門のところで皆に挨拶をするカイくん。ほかにも、うさぎに草を与えるときに、自ら草を噛んで味見をしてから与える、コウちゃんという子も印象的だ。周りからはじき出されたユイが、この子と出会ったおかげで、孤独にならずに済んだのだ。
 どの子も、生き生き描かれている。どこにでもいそうな子どもである。そう、何も特別なことでは全然ない。すべてはたんなる個性のうちに含まれてしまう程度のこととしか思えなくなる。
 こうした教育を受けているのは、この豊中の学校のみではない。多くの学校で、昔ほどはそうした子を隔離しなくなった。子どもたちが、さまざまなハンディを背負った子も同じ人間であり同じ子ども、仲間なのだというあり方で教育現場を過ごしてきたとき、大人になっても、その見方は同じように続いていくことが期待される。こうした若い力は、将来を変える力をもっている。
 本の題は、卒業前の最後の参観のときに、あのカイくんが読んだ作文の内容からとられている。
 私は通勤の電車の中で本を読む。そんな場で、私の頬に涙が伝った。こんなのがいいよね、と。




Takapan
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