本

『僕たちの居場所論』

ホンとの本

『僕たちの居場所論』
内田樹・平川克美・名越康文
角川新書
\860+
2016.5.

 いったいこの新書は、どういうジャンルに収めたらよいのだろう。困った。気になったのは「居場所」という言葉によるものだ。しかも「論」など付いているので、鼎談であることは分かっていたが、少々期待するものがあった。
 だが、このおじさんたち三人が終始楽しそうに語る様子を脇で聞くような感覚は、どうしたものかというふうな気もする。
 その雑談のようなままに終始する言葉の交差を、横で楽しむというのが、たぶん本書の最も適切な鑑賞法なのだろう。だから流されるままに付き合っていくのがよいだろうし、その筋道を個々で明かしてしまうと、面白みが半減されてしまうかもしれない、と恐れるものである。
 昔話に花が咲く。昔からの知り合いなのだ。ただ、話のレベルは高い。ここで三人について、本書で紹介してある程度に軽く触れておくと、私は内田樹氏のことなら少しだけ知っている。現代フランスの思想についての著作がある。武道家でもあるが、著作家としてはかなり遅い時期からである。すぐれた見識として各方面で意見が問われることがあり、著書もいろいろな賞を受けている。平川克美氏は、理工学方面から会社を設立し、ダウンロードサイトをも立ち上げている。やはり幾つかの著書がある。名越康文氏は、精神科医である。ラジオなどを舞台として、評論などでも活躍する。名越氏だけが1960年生まれだが、他の二人は1950年生まれである。本書の発行は2016年である。

 タイトルにある「居場所」について、とくに枠をつくり語り合っているわけではないが、随所でそのテーマは流れていると感じられる。思い出話はいつしか現在の社会へのコメントのようになってゆき、様々な事件や世界構図などに触れることもある。かと思えば人間関係や師弟関係への言及も始まり、家族というものについて語ることもある。
 もちろん索引なんてないから、どこであの話がしてあったか、読み終わった後に探すことは至難の業である。附箋を始めてもきりがない。あちこちでピリッと刺激のする言葉も多くありすぎるのだ。その中で、私がひとつだけ、犬の耳をつくり唸ったところがある。ここだけは、引用させて戴くことにする。もちろん、その話の脈絡というものもあるのだが、それなしでぽつんと掲げても、それはそれでよいのではないかと思う。
 発言は、内田樹のものである。
 ――暴力性って、そういう物理的なものだと思うんだ、1日分ずつ必ず溜まってゆく。怒りとか、恨みとか、嫉みとか、身体の不調とか、人間関係のトラブルとかがもたらすネガティヴなものって、身体の中に物理的に沈殿するんだよ。だから、それは夜、寝る前に、流していかないとダメなんですよ。
 性善説って、ある種、危険な説だと思う。自分の中に他人を抑圧したり、支配したりする欲望があるということを認めない人たちは、善意に基づいて人を傷つけることがあるという可能性を全く吟味しないでしょう。
 だから、"いい人"がふるう暴力性って、節度がないんだよ。信仰心の篤い人ほど残酷になるということは歴史的経験から熟知されていることだと思うんだけど――(p238)
 自分の中に罪というものを常に意識するならば、まだよい。だが、それを忘れたクリスチャンは、時に恐ろしい存在になることがある。まして、最初からその罪などということと関係なしに、いつの間にか教会に受け容れられ、ほめそやされて牧師になんぞなってしまったら、その事態そのものが恐ろしい。信者とて、霊的には全く能力がないことがある。罪も救いも知らない者が、なんの命も力もないことを語っていても、不足している牧師市場のために就職させてしまうと、それで教会が形作られたと騙されてしまう。騙されただけなら被害者だが、その牧師を担いでしまうと、今度は加害者になってしまうのである。こうして、他人を抑圧したり支配したりし始め、しかもそれを善だとか、神の思し召しだとか思い込むようになってゆく。それこそが正義だと信仰するようになり、善意に基づいて人を傷つけるように変わってしまうのだ。この営みには、節度がない。そのような、自分で歪んでいることに気づかないような信仰心は、残酷な振る舞いを為し、しかもそれを正義だと自認し称えることとなるのである。歴史的経験から、幾度となく繰り返されてきたそのような轍を、自分が踏んでいるなどということは、微塵も考えようとしないで。
 教会が居場所になるように。聞こえのよいそのようなスローガンを掲げて、偽物が薄ら笑いを浮かべ、周囲もその傍でゴマをすりながら、自分の罪に気づこうともしないで、暴走を助長する。その他、サイコパスの場合も、そうした恐ろしい性質をまざまざと示す場合がある。
 本書がなにも、そのようなことを言おうと意図しているわけではない。もっと気楽な読み物ではある。しかし、世の中や人々、そして先人の思想や患者の心を、真摯に見つめてきた人々の言葉には、経験と知識とに裏打ちされた何かがある。楽しく読むならばただ楽しく読めばよいし、深みを覚えたいならはそのように読めばよい。たまには効率の良くない読書も、愉快なのではないだろうか。




Takapan
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