本

『からだとこころの健康学』

ホンとの本

『からだとこころの健康学』
稲葉俊郎
NHK出版
\670+
2019.10.

 見過ごしていた。こんなに良い内容の本を、書店で見かけていたに違いないのだが、発売当時には見逃していた。しかしいま目についたというのは、この著者のことを別の本で知ったということと、『記憶する体』や『<責任>の生成』と出会ったからである。ちょうど同時に読んでいる幾冊もの本が、ひとつの筋で繋がってくるというのは、読書していたもそうめったにお目にかかれない奇蹟のような体験である。全然別のものと考えていたものが、一つに繋がるのである。
 健康を再定義する。本書の伝えたいことを明確に掲げ、実際これに尽きると言ってよい。単純なことのようだが、これは即ちパラダイムの変換である。私たちが健康という言葉を使うとき、共通して抱いている一種の偏見を省みる試みであり、これが変わると、世界観が一変するという可能性をもつものである。
 このNHK出版の「学びのきほん」というシリーズの目的は、非常に分かりやすい形でメッセージや知識を伝えることにある。読みやすい構成を考え、そう多くはないが適切な説明的イラストと図表を提示する。だが何よりも、その説明が実に親切で丁寧である。もちろんそれは、筆者の稲葉氏の手腕によるものだろうが、本書を世に出す企画者や担当者たちの願いと努力によるものであろう。実はそのことが、最後に触れられている。そして、本書を閉じるにあたってのつながりというもので締め括られているのだが、それは私がここでばらしてしまってはつまらない。どうぞお読みになって確認して戴きたいと思う。
 さて、本書は「健康学」という分野を提示するにあたり、それが含むものをまず掲げる。これは本書の骨子ともなる重要な説明なので、丁寧に読まれたい。最後までずっとそのことばかり繰り返している、と言われればそれまでだが、要するに、「あたま」と「からだ・こころ」という身近な言葉によって、複雑化しがちな概念化を避け、読者が感じとりやすいように工夫がしてある。曖昧な語ではあるのだが、「そうなんだ」と感じるには十分な言葉ではないかと思う。だからひらがなにし、その上カギカッコを付けている。この言葉が、本書の提示する健康を知るための大切なカギであることを容易に知らせる。
 つまりは、知的に思考し判断する営み、そこに健康の中心を置いてしまうことへの警告である。私たちは、えてして自分のからだの反応や要求を否定してまでも、知識や医師の言葉を正しいとしてしまうのではないか。外から決められたようなこと、数値を信仰して、自分の中にある違和感のようなものを、押しつぶしているようなことはないかどうか、考えてみようというのである。
 そのとき、西洋医学の原理を明らかにすることで、判断の偏りを取り除こうとしている点も目立つ。確かに、緊急の傷病のときに、西洋医学の手当は重要である。外科的措置、薬学的な制圧が求められることは多々あるだろう。しかし、人がこころとからだで穏やかな生き方ができるというあり方は、むしろ東洋医学と呼ばれる考え方によるものが有効だとも考えられるし、さらにはインド哲学による意識の尊重が必要ではないか、というところにまで進むのである。
 また、その西洋医学であるが、身体の中に「悪」なるものを見出してそれを取り除こうとする、そういう考え方の基本があるのではないかと著者は提言する。だが、医療というものはどうなのかについて、著者はこのように記す。「医療とは、みんなの心を和らげて心穏やかに暮らすためのものであり、医者や患者などの上下関係で考えるのではなく誰もが平等に探究するものであり、究極的には、自分らしい人生を、自分なりの幸せを生きていくことをサポートするためのものではないでしょうか。」
 私たちは「「あたま」が生み出す強制や命令の論理で動くのではなく、「からだ」や「こころ」の深い欲求に基づいて動けるように」なるべきだとし、そのため「「健康」は、自分のことを深く「知りたい」と思うことからすべてがスタート」するのだと呼びかける。
 その上で、やがて迎えるはずの「死」についても言及する。冗談で「健康になるためなら死んでもいい」というフレーズがありますが、著者によればそもそも「「死」は本来、私たちのいのちに包含されて」いるものだという。「死」を生活から遠ざけることに躍起になってきた文明は、実のところ「生きる」ことの充実感や切実さを、失ってしまったのではないだろうかと問うのである。
 風姿花伝の中にすら、その生きることの息づかいを見出すことを示す本書は、「健康」という概念を超えて、「生きていること、存在していること、たったそれだけのことに奇跡を感じること」にまで至りたいものだと漏らす。私はこの眼差しに共感する。私にとり、本書により世界観が変わることは殆どなかったが、自分の世界観への強盤な支柱を得たような、心強いものを覚えたのは、確かである。




Takapan
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