本

『バリアオーバーコミュニケーション』

ホンとの本

『バリアオーバーコミュニケーション』
堀越喜晴
サンパウロ
\1575
2009.9.

 サブタイトルは「心に風を通わせよう」とある。これだけでは何も分からないかもしれない。また、タイトルの聞き慣れない言葉も謎だ。「バリアフリー」という言葉は学校でも習うから特に若い世代では聞いたことがないはずがないのだが、「バリアオーバー」となったときに、類推が働くかどうかで大きく違ってくるであろう。隔てるものがない、というよりも、隔てるものを超えていこうという意気込みのことのようだが、その意味を深く探るには、とにかく読んでいくしかないようだ。
 著者は、視覚障害者。生まれつき目が見えない。しかし近年の技術は、そのような立場でありながら漢字変換もできるし、このように本の原稿も書くことができるようになってきた。大学教授という立場でもあり、著者は活発に意見を発することのできる位置にいる。知的側面からも豊かであると同時に、主張を述べ、またそれを論理化することができる人だと言うことができる。
 各方面でも有名な方であるはずである。今回、NHKラジオで長らく連続放送されていたコーナーの原稿をこのような形でまとめあげて出版することになった。これはラジオ原稿でもあるが、様々なまとめをも試みているので、本にて読むに相応しいスタイルとなっている。
 本の帯に、香山リカ氏が、自分の障害者理解がとことん間違っていたのだと思い知らされた、とあった。これはかなり強烈に見えた。たぶん自分もそうなのだろうと思いつつも、どこかそれを知るのが恐い気もしていた。だが、自分の思いこみで福祉を考えても、また弱者と呼ばれる立場の人のことを論じても始まらない。実際にその立場の人はどう考えているのか、どう見ているのか、何に困り何を望んでいるのか、そんなことを聞き出してみたいという気持ちがそれに勝った。
 いかにステレオタイプに、あるいはまた晴眼者の思いこみによって勝手な盲人像がはびこって離れないでいるのか、読み進む中で味わっていった。私自身の捉え方は、比較的著者の考え方に近いものが多かったとはいえ、ああ自分は勘違いをしていた、と思わされることもしばしばであった。
 もちろん、視覚障害者はこの著者一人であるわけではない。その中にも様々な立場や考え方の人がいる。要はそれぞれが一人一人なのであって、十把一絡げに盲人はこうだ、などと言えるはずがないのである。しかし、晴眼者はえてしてそれをやってしまう。著者が若いときに受けた有名な大学教授の授業の勘違いの甚だしさは、さすがに私でも奇妙であると分かったが、晴眼者が一人一人個性的であるように、盲人もまた一人一人個性的であるはずなのだ。
 短い放送のまとめであるから、ひとつひとつの話は非常に短い。すぐにひとまとまりとして読み終えることができるから、細切れにひとつずつ読んでいくのもアリだと思う。しかし、そうしているうちに、次は何だろう、次は何を言ってくるだろう、と楽しみでついつい読み進んでいってしまう。
 実は著者は、クリスチャンである。ここがまた、私の共感を覚えるところでもあるのだ。時折聖書の引用があったり、聖書のフレーズをさりげなく用いて表現されていたりする。そこでまたふむふむと思うようになるのだが、それよりも、やはりその精神が聖書の愛を匂わせるというところが大きい。いや、誤解して戴きたくないのだが、著者は聖書を信じるように仕向けているわけでもないし、キリスト教を表に出してどうというふうにやっているのでもない。おそらくそうと気づかない人には、全く何の嫌みも押しつけも微塵も感じず、ひたすら福祉と人の心の問題として響いてくるはずである。このさやわかさがいいと私は羨ましく思った。要は想像力の欠如なのだと指摘し、それは具体的にどういうことであるのか、出会ったことや考えたことを題材に実に魅力的に紹介してくれる。これまで多くの困惑や害悪を経験してきたことだろう。それを、蓮の根の泥のように昇華して美しい花を咲かせたというように言うと当たらないのかもしれないが、なかなか誰も言わない点をずばりと言ってのけたことについては、大きな意味があると言えるだろう。
 愛は地球を救うなどという特集テレビがあるが、障害者が見世物となり、通り一遍の、一般の人のイメージ通りに描かれた障害者と、それに協力する美談との嵐の中で、またもや間違ったものが伝えられていき、結局のところ何の心の通い合いもなくなっていくという現実が、この本には指摘されている。様々な事例の中で私たちも、どうすればよいのか、その問いかけに預かろうではないか。
 描かれている、昨今の若者の姿も時に笑えるのだが、それは決して笑えないものであることにやがて気づく。私たちの姿なのだ。と同時に、そうした若者に期待できることも大いに取り上げられているから、この本は一部だけを取り上げるのではなくて、全体のバランスに絶えず気を配っていくべきであると思う。それが、いくらかでも風が通うということなのではないかと感じている。
 異文化コミュニケーションとは何か、考えたい方にもお勧めしたい。別の視点を得るというのが、どんなに自分を豊かにするか、学ぶことができる。著者は、英語教育の先生なのである。




Takapan
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