本

『美女と野獣』

ホンとの本

『美女と野獣』
ボーモン夫人
角川文庫
\480+
1971.6.

 むしろディズニーの映画で有名と言うべきだろうか。その半世紀ほど前にも映画化されている。なにしろタイトルが想像力をかき立てる。日本では、美しい女優と、見劣りのする男性芸能人との結婚や交際のときによく持ち出されるフレーズである。失礼なことであるが。
 テレビドラマや舞台でも多く演じられており、邦訳も幾種類もある。しかしヴィルヌーヴ版と呼ばれるオリジナル版があることは、調べるまで知らなかった。よく知られているボーモン版の9倍もの長さがあるという。つまり、いま普通に読まれている『美女と野獣』は、かなりのダイジェスト版なのであるという。
 最初の結婚が不幸だった著者は再婚後家庭に恵まれ、子どもたちのための作品を執筆するようになったのだという。だから、この物語は、単なるダイジェスト版というわけではなく、子ども向けにアレンジしたものであるのだろう。
 美女を表すベルという言葉をそのままに、そして野獣を竜として描いた映画「竜とそばかすの姫」が2021年にヒットして、再び脚光を浴びた――というものでもないらしい。私などは最初、この映画を聞いて、旧約聖書続編のダニエル書のなかの「ベルと竜」しか頭に思い浮かばなかったのだが、確かにこちらの物語を受けているしかありえなかった。バラのモチーフなど、この作品からインスパイアされた映画となっていた。
 さて、この「美女と野獣」そのものは短い話である。本書には、このような物語が全部で15、収められている。子どものための雑誌を作り、そのために作品を生んだボーモン夫人のこれらの物語は、よく読まれ愛されたらしい。だが、設定はそれぞれ異なるものの、言わんとしていることはどれも同じようなものであった。いや、だからこそ、親も子どもたちに安心してこれらの物語を提供できたのだろう、とも思われる。
 きょうだいなどの比較がしばしばなされる。また、王様やお姫様といった環境の中での物語となっている。それは、痛々しい展開が、庶民の身に及ぶものとして感じられることがないように、という意味であるかもしれない。お伽噺としてこれらの物語を見上げるようにして聞く子どもたちの姿、そしてそこから人生訓と道徳観を受けていく、そうした構造であるのだろう。
 一人は良い人間であり、一人は悪人である。そして良いほうは不幸な運命を背負わされる。それでも困難に耐え、人を助け、またよく本を読み学びをすることと、豊かな知恵がもたらされる。悪人のほうは恵まれた環境で一見幸福な生活を送るが、怠惰でわがままな性格の故に、その後立場が逆転する。これらの逆転は、仙女と呼ばれる女性が変身した姿で現れ、時に予言をし、時に直接手を加え、成し遂げるのである。仙女はこの場合良い導きをする役割なのだが、時に意地悪な仕打ちをするように見えることもあり、必ずしもただの天使のようなものでもないような気がする。私たちに向けては、物語に登場する「魔法使い」のような者なのかもしれない。とにかく、個人が自力で自分を信じて運命を切り開くというよりも、人は無力であるけれども、忍耐強く善を行うことを続けていれば、報われるというようなことを子どもたちに伝えるものとなっている。
 これを例えば毎月楽しみに読むのだとすれば、それなりに伝わっていくことがあるだろう。一気にこれを読み通すと、またか、という思いが心に浮かぶのは仕方がないかもしれない。時にいまの感覚からすると理不尽に思われることもないわけではないが、18世紀当時の文化や考え方に沿っていたのだろうと理解したい。むしろ、今なお鑑賞に堪える作品がこれだけ生み出されたということに、驚くべきなのだろうと思う。
 解説にはそれぞれの物語の題のブランス語原題が紹介されている。「美女と野獣」は「ベ」という頭韻を踏むようにできていたのだ。子どもの口に馴染みやすいリズムが施されている、こうした点も、工夫されているものということなのだろう。それにしても、離婚する前の最初の相手の姓であるボーモン夫人というふうにこのように伝えられている、それでよかったのだろうか、と少し余計な心配もしてしまうのだが、日本以外の国ではどうなのだろうか。




Takapan
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