本

『バカと言われないための哲学入門』

ホンとの本

『バカと言われないための哲学入門』
浜田正編著
中経出版
\579
2007.2.

 文庫本であるが、かつては小さなサイズながらも単行本であり、『哲学のことが面白いほどわかる本』として知られていた。編集が入ったとはいえ、ほぼそれと同じ内容である。こうした本が文庫で読めるようになるというのは、ありがたい。
 通り一遍の哲学の歴史を説明する本はゴマンとある。魅力的な本にするためには、切り込み口に工夫が要る。この本は、一見無秩序のようでありながら、読者の立場に身を置くようにして、関心を向けやすいように配慮している。
 まずは、哲学というものについてあらましを告げる。それは科学と違うのだという。これは分かりやすい視点だ。同時に、科学とは何かということについても目を開かせてくれる。哲学を学んだ者にはもちろん常識であるのだが、一般にはアピールが強くできる事柄ではないかと思われる。
 それから、「わたし」とは何かを問う。もちろん、誰もが関心のある幸福という問題は欠かせない。労働や遊び、欲望といった、人に取り付きやすい島を用意しておいて、次にいよいよ自由という問題に触れる。それは必然的に、倫理というものに流れ込む。うまい導きだ。
 続いて、「他者」が話題になる。倫理に行き着いた次の場である。恋愛やコミュニケーション、結婚と家族を問い、フェミニズムという視点を経て、国家と差別などに向かっていく。
 さらに、こうした組織や世界は、私たちにどのように認識されるかが次の課題となる。「認識」論である。ここには、大陸合理論とイギリス経験論の流れが示され、カントに流れていくことになる。ここはオーソドックスだが、読者が知るべき大切なポイントだ。
 次は「死」である。人の生き方を求める中で険しく暗く立ち聳える壁である。そこには老いや病気という話題も混じってくるが、なんといっても生命という問題が最大の関心事であろう。現代の生命倫理にこうしてたどり着く。また、生命を保持するためには環境倫理も忘れることができない。ここで触れられることになる。
 最後は「歴史」を問う。歴史は空間というよりは時間的な理解である。まさにその時間とは何かが問われなければならない。そして歴史哲学と歴史の終わり、すなわち終末への視点が現れてくるが、それは神の審判というような終わりを意味するものでなく、また再生するための終わりであるような示唆をして、この本は閉じられる。
 平易な言葉遣いで、思考の道筋だけは、しっかりと刻む。やさしい哲学だとか、誰でも分かる哲学とかいうようなタイトルのものは、ちらりと気になる哲学、だが難しいと敬遠する人々の目に、ちょっと手にとってみようかな、という気を起こさせると言える。だが、えてしてそれは失望に終わる。結局、難しい専門用語が、著者や仲間内だけが分かっている用語の説明が不十分で自己満足的であるという結論を下さざるをえない状況の中で、踊り舞っているばかりということが少なくないのだ。
 しかし、その壁を超えるためには、何らかの自分の問題意識が、本によっていくらかでも見通しが与えられるといったことが必要である。それを満足させる本というものは、よほどの工夫と才覚が求められる。
 この本がそれを果たして満たしているかどうかは、私の判断するところではない。だが、哲学という名のものが、たんに哲学史の羅列でなく、思索することであるとするならば、この本はその良い契機を提供しているのではないだろうか。文庫という読みやすい姿で出たのも良かった。また、そのためには時折現れる図版ご効果的であった。適切なプレゼンテーションが与えられたことは、整理して理解することに役だっている。いかにもサラリーマンの啓発本のような、プレゼン図だか、哲学においてもそれはきっと役に立つ。あまりにも単純化してそれでよいのか、という疑問もあるだろうが、まずは何らかの暫定的な理解はあってよい。それで囚われてしまうような頭脳であれば、もとより哲学するという基本にふさわしくないと言える。暫定から反定立を経て、止揚されるという経験を、読者ができるのであれば、すでに哲学することは始まっている、とも言えるのだから。




Takapan
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