『バカボンのパパはなぜ天才なのか?』
齋藤孝
小学館
\1575
2006.3
教育テレビ「にほんごであそぼ」を持ち出すあたりが私めいているが、そうでなくても、ここ数年は「声に出して読みたい日本語」とか三色ボールペンだとか、日本語を使って頭脳と心を鍛えることを提唱して社会に受け容れられている、若き大御所である。
その齋藤孝の著書でなくても、別によかった。だが、それほどに日本語で「考える」ことについて社会に訴えるものをもっている人だからこそ、これだけのものが週刊誌の連載の中で書けたのだろう、とも想像する。
はまる。
著者と世代的に近くもあり、ということはつまり、読んだマンガも共通するものが多いということで、多少なりとも知っているマンガについて評されているから、よく分かるというのは、たしかにあるだろう。
しかし、何十巻とある単行本を誇るマンガを、図版も入れてたった4頁で語るということは、できるものではない。あらゆるストーリーや見所というものをカットして、ひたすら齊藤氏のアングルで、誰も指摘しなかったような(していたかもしれないが)切り口で、ズバッと要点を一つ取り上げる。その一つの観点で、そのマンガをすべて語りきってしまうことができる、という錯覚さえ生じさせる力をもった説得力は流石である。
手塚マンガを、アイデンティティという軸で語る。
タイトルにもあるバカボンのパパからは、言い切ることを読者は学ぶべきだ。
めぞん一刻には「はぐらかし」あるいは「ズレ」の妙が絶賛される。
ドカベンの主人公は岩鬼であると断じ、人生の悪球打ちを推奨する。
アストロ球団はエスカレートマンガだと評し、新庄選手を例に出す。
巨人の星では、伴宙太こそ成長した人物だと見抜き、熱く論ずる。
そしてドラえもんののび太は、最高にタフなヤツであり、このマンガは「失言マンガ」だと暴露する。
もう、やめられない。「処世術に学べ」などというサブタイトルが地味に扉に記されているが、多分にビジネスマン向けであるにせよ、そこらの啓発書よりはよほど実用的で、自分を変えることができるだろうと予想する。
著者自身、「あとがき」の中で、この本のことを「マイ名作」だと語り、「これは私のベスト本なのだ!!」と結んでいる。いやはや、魂のこもったものとしては、まさにそう呼ばせて戴きたいと私も肯く。
惜しむらくは、これが「週刊ポスト」に連載されたものをまとめた本であるがゆえに、「おとな」の読む内容となっていることだ。子どもにはお薦めできない本である点が、残念でならない。