本

『綾子・光世 愛、つむいで』

ホンとの本

『綾子・光世 愛、つむいで』
三浦綾子・三浦光世
写真・後山一朗
北海道新聞社
\1,600
2003.6

 1999年10月12日、三浦綾子が他界した。病との闘いのうちに、作家への道が開かれ、真摯な言葉を読者に投げかけてきた。その直球一本勝負を嫌う人もいたが、受け止める人は、人間の生きる意味を深く考える恵みを得た。三浦家に、死にたいと電話をかけてきて、幾人がそれを思いとどまったことであろうか。
 プロテスタント作家として有名な人は、多くない。三浦綾子の作品は、私の足元を照らして聖書へ向けさせたゆえに、私にとってもすばらしい価値あるものだった。たとえ聖書のことを詳しく知識で語らなくても、押しつけがましく聖書のよさを宣伝しなくても、さりげなく引用してある聖書の言葉や、それを踏まえた記述、つまり人生への誠実な態度を貫く登場人物の姿に、私は計り知れない影響を受けた。
 この夫妻の言葉をまとめた本は、三浦綾子の死後、いろいろ出版されている。もう新しい小説を世に出すことができないゆえに、そこにある宝石のような言葉を、少しでも分かりやすく伝えようとする働きが感じられる。もしかすると、イエス・キリストの言葉を福音書としてまとめた弟子たちの思いも、それと似たようなものがあったのかもしれない。
 この本は、ほとんどが写真集である。夫妻の写真を四半世紀にわたって撮り続けた写真家が、改めてその人生の輝きを再発見した感動が、この写真集ならびに言葉集に、あふれている。
「私はよく思うことがある。もし自分の命があと一年とわかったとしたら、人はどんな生き方をするだろうか、と。どうしてもしなければならないことと、してもしなくてもいいこととのけじめができていれば、私たちはまず必要なことのために時間を使うことができるだろう。何が大切かわかれば、本気になってやる情熱が湧くだろう。問題は何に本気になるかということである。」(『私の赤い手帖から』本書74頁)
 この言葉を読むと、また『僕の生きる道』が思い出される。この三浦綾子の言葉を動機として、生まれたドラマではないかとさえ思わせる。
 その他、たくさんのきらめく言葉について一つ一つ記すゆとりもなければ、必要もない。ファンにとってはもちろんのこと、この選ばれた言葉に触れることによって、私たちの痛みは癒され、生きる希望が溢れてくる。世間を否定的に見るのではなく、神の愛の中に信頼して、希望の中に未来を見ていこうとするその言葉は、厳しい倫理に裏打ちされて、今日もまったく色褪せることがない。
 教師として、子どもたちを戦場に送り出す教育を施す一員であった自分を嫌悪し、戦後はもう教壇には立てなくなった三浦綾子。その重みは私も私なりに感じている。この本の最後に選ばれた次の言葉は、たしかに教育の原点と言えるものなのかもしれない。
「言葉を信頼出来る言葉を出す教育、それは何とすばらしいことだろう。金力、権力、暴力が人を動かし、口約束も公約も踏みにじられる現代にあって、これはまことに貴重なあり方だと思うのである。」(『ナナカマドの街から』本書108頁)




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