本

『亜宗教』

ホンとの本

『亜宗教』
中村圭志
集英社インターナショナル新書
\960+
2023.4.

 たくさんの著書がある。宗教関係が中心である。宗教学者と呼んでよいのか、評論家と呼べばよいのか、私には判断がつかないが、見識の広さには驚くばかりである。聖書はもちろんのこと、コーランに仏教から神道、ギリシア思想とくると、もう宗教一般とするしかないのかもしれない。
 その宗教というもののレベルからすると、本書のターゲットは、少しずれる。だから「亜」の字をつけているが、著者の造語である。具体的にそれが何を指すかというのは、イスラエルの副題で分かる。「オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで」とぶつけられるが、これは絶妙に、本書の内容をすべてさらっている。伝統宗教とは違うが、何かしら精神世界の事柄に、多くの人が近年没入している。あるいは、影響されている。伝統宗教が縮小傾向にあるのに対して、これらの亜宗教は、ブームにもなるし、若者たちの信頼も厚いという。これは何故か。また、今後人間はどうなるのか。
 筆者の主張もさることながら、いろいろ調べてくれた、風俗的な記事が興味深い。むしろそこに焦点を置いて読むというほうが、読者には有益であるかもしれない。先ずは「心霊現象」からである。コナン・ドイルが熱中したのは有名だが、その件についてもよく叙述されており、半ば史料として捉えられ得るだろうと思う。こっくりさんやら動物磁気、骨相額など、過去の思想書でも時折登場するものについて、多くの知識を与えてくれるのは、私にとって面白かった。千里眼ブームもおよそのことは知っていたが、本書ではなかなか詳しくレポートしてある。繰り返すが、このような事件や流行のようなものについて、ある程度の知識が欲しいとき、本書はその入口としてきっと役立つに違いない。
 そこまでを一段落させるとき、補章として、伝統宗教について扱ったところがある。ある意味で宗教一般について、亜宗教のような論理というものはあるのだ、という点を指摘する。聖書にしても、奇蹟や癒やしを以て神の業としているし、そうした現象により人の心を集めたことを、オカルトとは別だ、と主張するのは、かなり勇気が要るだろう。
 それは東洋宗教も同様である。仏教にも呪術的思考がある、とするのは少し大胆だが、「仏教では死後の転生を信じる」と言い切ってしまったあたりは、勇み足だったように思う。それからの解脱を説いたにしても、その前提として輪廻の思想がある、ということが言いたかったのだろうとは思うが、「信じる」という言い方は、どうしても肯定的な印象を読者に与えるからだ。
 伝統宗教にも含まれる問題として、発行時点で世間で話題になっていた「宗教二世」についても少し触れる。ただ、それは主題にはならない。全体的に、「仏教」という一括り、「キリスト教」という一括りで、議論を非常に単純化する傾向があり、それを文化的社会的な問題と重ねていくのも、あまりに単純に切り分けているというふうにも見えるために、読むほうは非常に軽快に読めるのであるが、内容的には気をつけたほうがよいだろう。
 後半は、この百年のアメリカの動向に舞台を移し、そこに潜む宗教的な問題を明らかにする。ファンダメンタリストについて触れなければならないだろうし、有名な「モンキー裁判」のこともレポートしてくれる。また、UFOを信じる心理から、現代につながるニューエイジの空気について、いろいろな事例をもたらしてもいる。
 本書と並行して、私は『宗教からアメリカ社会を知るための48章』(上坂昇・明石書店)を読んでいた。これは、本書の理解にも役立ったが、私の目には、この48章のほうが、分析として優れていたように見えた。亜宗教のほうは、筆者の信念のようなもので一貫した議論で筋道は通っていたが、果たして事例をつなぐ糸はそれしかないのか、疑わしいところを感じた。概して一神教に対する批判的な眼差しが、つい言葉に出てくるというような場面もあったような気がして、あまりに物事を単純な原理に還元しすぎているように思えてならなかった。だが48章のほうは、社会的な事情や歴史的背景などからの説明を試みながらも、単純な理論に乗せてしまおうという気持ちは感じなかった。宗教の実態をありのままに捉え、そこからアメリカというものを理解していくというスタンスだったからだろう。亜宗教のほうは、アメリカを題材としているに過ぎない。狙うは、亜宗教なるものが栄えてきたことの、うまい説明である。
 一見科学であるかのような、テレパシーなどの話題も最後に現れ、最終的には、陰謀論という、かなり大きなテーマについて、あっさりとまとめ、無神論というものも絡めて、今後の時代を待つように向かっていくのだったが、これだけ批判をこめてあらゆる宗教をズバリと斬ってここまで来た割には、この先はどうなるか分からない、という弱気な結末になったことは、当たり障りのないところで読者を放り出してしまったふうで、がっかりさせたのではないだろうか。
 本書で取り上げられた心霊写真やコックリさん、テレパシーやUFOなどは、世代的には、私もかなり興味を抱いたものである。もしかすると筆者は、自分がかつて夢中になった趣味的なものについて、ひとつまとまった報告をしたかったのではないだろうか。もちろん新書でこうした問題を深く論ずることはできない。殆どまともに議論に挙げていない「疑似科学」という言葉を章に用いたのも、やや大袈裟であったと言えるだろう。疑似科学については、たとえば安斎育郎氏が、科学の立場からその偽りを暴く活動をしている。立場は異なるが、こちらは確かに疑似科学についての、社会的に有用な指摘を続けている。果たして本書が、器用にあらゆるものを取り込んでつないだものの、社会に何をもたらすことになるのだろうか。もしも根拠薄く断定を繰り返していた面が多くなっていけば、本書もまた、「亜」のつく何かになってしまうかもしれない。




Takapan
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