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『アスペルガー症候群』

ホンとの本

『アスペルガー症候群』
岡田尊司
幻冬舎新書141
\840
2009.9.

 こうしたパーソナリティ障害関係の事柄について、近年さかんに新書などを通じて啓蒙活動を続けているのが、この著者である。医療少年院に勤務するなど、特に子どもたちをどうにかして助けたいという思いから、子どもとその親への解決のヒント、あるいは彼らへの周りの理解を求める動きが大きい。大切な役割であろう。
 今回は、その自閉的な方面で発達障害として認識される、アスペルガー症候群を取り上げた。これが現代社会に非情に増えてきている、というのが最初から宣言される内容であり、そこだけ読むと、世の中に蔓延してきているかのような印象すら与える。
 オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーに因んで名付けられたというこの症状は、第一次世界大戦後、不適応な子どもたちの中で見出された。自閉症の一つの形であるようだが、必ずしも心を閉じているというわけではない。不適応が見られるものの、ある分野において大変な才能を発覚し、世界に多大な貢献を成し遂げる人も多々いるという。この本の親切というか親しみやすさを与える大きな特徴というのが、この有名人の紹介であろう。世界的に名の知られた学者やビジネス人、作家や哲学者を登場させて、彼らがアスペルガー症候群であると説明している。この本で紹介している様々な傾向が一致するのである。また、とくにその偉人の子ども時代が非常に問題のあるものだったというエピソードも知れていることが多いが、改めてそれを持ち出して、子どもにおけるこの症候群がただに障害で終わらないという印象を与えようとしている。これは実際にその家族や関係者にとっては朗報と言えるだろう。
 しかし、そもそもアスペルガー症候群とは何か。その説明が初めのほうでなされるが、私はそこでダウンしそうになった。実に様々な型がある。それからこの後の解説もそうなっているのだが、Aである人もいれば、Aとは逆の性質を示す人もいる、というように、同じ症候群の中で、特徴が180度違うようなこともあると言い始めるのだ。多様な側面はあるだろうが、これでは読者は混乱する。つまり、読めば読むほど、アスペルガー症候群とは何か、というイメージがどんどんぼやけてくるのである。
 こうなると、私のそもそもの考え方であるのだが、この本でも幾度も比較のために持ち出される「普通の人」とはいったい何か、それが知りたくなる。私はそれは幻想的な存在ではないかと思っている。つまりどの人も決して普通ではないし、では異常なのかと迫られれば、私は異常なのだと答えることにしている。「普通」というのが人間の精神の上で何であるか、定義がないと思うのである。そして、世の中にアスペルガー症候群が増えていますよ、それはAという性質をもっていますが、時にAでない人もいます、などと力強く書かれると、ああ私もそれなのだ、という気持ちになってくる。あるいは、それは正しいのかもしれない。すると、普通の人はこうですが、と書かれるその普通の人とは何かということになるが、どこにもいないユートピアのような存在にすら思えてきてしまうのだ。
 ひとつのことへのこだわりなど、才能を発揮する場合も多いというのは慰めだが、私はこの本を読み進めばそれだけ、アスペルガー症候群というものは何か、どんどん視界がぼやけてくるように感じてならなかった。それは、現場で臨床的にも多くのこの症候群の子どもまたはおとなを見続けてきた著者が、さも当然のように、これはアスペルガー症候群です、と判断するその基準が分からなくなってくる、ということである。さもその見分けも当然であり簡単であるかのような前提で、どんどん、アスペルガー症候群はこういうふうで……と説明が進むのであるが、この人はそうでありあの人はそうでない、というような区別が怪しく思われてきてしまう。コミュニケーション障害があるというのは、よほど顕著であることを言うのであろうが、別の意味で語彙を知らず自分の思想を他人に伝えようという必要性も感じず言語能力が劣っているのではないかと思われる昨今の若者風景は、すべてコミュニケーションら障害があるのだと言われても尤もであるような気がする。
 早い話、私もそうなのか、などと思いつつ読んでいたが、いやこういうところは全く違う、と思うようになると、自分はそれではないと思い始めたのであるが、ではそもそもアスペルガー症候群とは何か、という問いに対してこの本は、このような側面をもつ人、というようにしか答えていないような気がする。ある意味で人間の営みを謙虚に振り返れば、多くの人にそれは当てはまるとも言えるだろうし、逆に週刊誌の占いのように、そんなに全部自分に当てはまるわけではない、と自分と無関係に考えてしまうようにも思う。  自分はこの症候群とは違う、と果たして私たちは言えるのだろうか。なんだかそれも怪しくなってくる。まるで、人間には罪なるものがあるのだろうか、と問うているかのようである。
 そういうわけで、なるほどいろいろ研究されているのだ、ということは分かっても、さてアスペルガー症候群とは何であって、何が問題であるのか、そういった側面には消化不良を覚えた。読者が、この本を読んでどういったイメージを形づくり、理解をしていくのか、という方面に関しては、この著者はあまり気を払っていないかのようにも見える。一方的に自分の知ることを相手に語り続けるのもアスペルガー症候群の一つの性質だと著者は記しているが、なんだかこの本そのものがそんなふうにも見える、というのは失礼な言い方だろうか。自身が抱え込んでいるから、その問題を取り上げたくなる、という実例を私は他に知っている。それがために多くの人が迷惑を被ったのであるが、当人は自己保全のために手段を選ばず本質はごまかしながらも立場を護り続けている。これはアスペルガー症候群というよりは、境界性パーソナリティ障害のほうなのだが、この著者にはそちらの方面にも分かりやすい新書があるはずである。またそちらに触れて、いろいろ考えるものとしたい。




Takapan
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