『私はアセクシュアル』
レベッカ・バージェス
上田勢子訳・中村香住解説
明石出版
\2000+
2025.1.
180頁ほどのコミックスである。自叙伝ではないがほ、自分の体験をよく繁栄させた本となっている。
タイトルの「アセクシュアル」という言葉をもし知らなかったら、何の本だろう、と思うだろう。表紙には、サブタイトルとして「自分らしさを見つけるまでの物語」と書かれてあるし、表紙の女の子の顔も清々しいから、やはり誤解が生じるかもしれない。「ア」は、もしかするとギリシア語などでの否定を表す接頭語であるのかもしれないが、要するに「セクシュアル」の否定である。
性的な関心をもたない性質である人のことを言う。このことについての解説も、本書の中で随時行われるから、一旦読み始めたら、不安を覚えることはないだろう。
先に著者の「体験」に触れたが、解説によると、自閉スペクトラム症とクィアの体験があるらしい。幾多の作品の中で、そのことを「楽しく、感情を込めて伝えることに情熱を注いでいる」と、著者紹介に記されている。
解説者として中村香住氏の名前が出ているのは、本書の巻末に解説を入れているからだが、わざわざその名を掲げているのは、ジェンダーやセクシュアリティの研究者として、フェミニズムの観点から活躍しており、本書のコミックスとしての作品に、一定の思想的な理解を加えておくためである。ただのコミックスで終わるのではなく、ここからセクシュアリティやジェンダーなどの問題に、読者が進んでほしいからであると思う。あまり長い記述ではないが、ここは読者もぜひ、マンガの読後に味わってほしいと私も願う。
さて、ストーリーは、一種の物語であるから説明はしないのだが、16歳のときから、大学卒業してしばらくの間の、「私」の成長と気づきが描かれている。自分はほかの子たちとは変わっている、そういう気づきはあった。だが、セックスや恋愛に関心を向ける周囲の子たちの気持ちが分からず、それを自分の認定とできなかった時期が続くことになる。詰まり、言語化できなかったのである。
描かれる時期は、大学時代が長い。美大に進んで学ぶというのは、作者の経験を活かしているのだろうと思われるが、良い友だちにその都度出会えているのが、なんだか嬉しい。理解されずに弾かれていたのは高校生のときばかりで、大学だと、なかなか多様性が尊重されている場合が多くなり、同様の心の友だちと話し合えるようになってゆく。その中で、初めて、社会におけるこうした人々のことを知ってゆくのである。
もちろん、友だちとのことにしても、いつもすんなり分かり合う、というわけにもゆかないのだ。特に「私」は、自分を強く意識し、相当に悩む。正に「自分」というものが分からず、友だちの好意にもそれを受け容れられず、引きこもるようなことも経験する。自分探しというわけではないが、自己肯定感がなかなかもてないままに、大人になってゆく。
現実には恵まれない事態にも遭遇する。とくに、卒業後のリーマンショックの中で仕事が見つからない場面は、読んでいても辛い。だがこのコミックスは、「私」の中での「問い」というものを一つひとつ形にしてゆくのが、とてもよいと思う。心の中での「問い」を明確に文章にしてゆくことで、それらがそのまま論文としても使えるような作品を形づくるのである。しかも、生活の中で思ったこと、感じたことを、逐一書いてゆくのであるから、それだけでもなかなかの体験レポートの記録となるであろうと思われる。生々しい感情や自問も、そのままに記されている。貴重な資料としてよいのではないか。
思い通りにはゆかないのが人生だ。だが、自分を知ることは、困難を乗りこえる希望へとつながってゆく。「自分らしさを見つける」というのは、ある意味で、「自分を受け容れること」であったのだ。読後感が爽やかで、前向きになれる。同じようなことで悩む人には、間違いなく希望を与える書となるだろう。それと同時に、その当事者ではない私のような立場の者でも、このような立場の人を理解したい、と強く思わせてくれる書となることだろう。
教会などで、読書会に用いてはどうだろうか。弱い者の味方であると思い上がっているような場合がきっとあると思うのだが、生き生きと当事者の心を教えて戴ける機会として、用いるならば、教会というものに、新しい息吹と命が注がれるのではないか、と思うのだ。

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か
ぱ
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