本

『美術は宗教を超えるか』

ホンとの本

『美術は宗教を超えるか』
宮下規久朗・佐藤優
PHP研究所
\2250+
2021.6.

 カラヴァッジョについての本で宮下規久朗氏のことを知った。クリスチャンだろうと予感して調べると、どうやらそうらしい。さらに探してみると、宗教と絡んだ本があった。対談形式で、相手は佐藤優。これは読みたいと思った。
 美しい絵画の数々が、厚手の良質の紙に多数印刷されており、美術鑑賞を目的としてもなかなか優れている。
 宮下規久朗氏が「はじめに」でいきなり、「美術は宗教と等しい」と、挑戦的な言葉を投げかける。中世を専門とするが、当然美術史全般をよく知る学者であるからこそ、確信を以て言えることである。芸術の中心は宗教芸術だ、という。見えないものを背後に宿すことなど、その意味するところは本書で次第に明らかにされてゆくのであるが、まさか信じられない、という人もいるだろう。確かに西洋では、特に印象派以降、神をモチーフとしない形での美術の世界が広まってゆく。確かに宗教的な主題は、表面的には姿を消す。しかし――というところが、本書の醍醐味となっている。
 もちろん、舞台は西洋美術である。世界の他の美術についても、この主題は検討されて然るべきだろう。だが、まずは西洋美術に注目してみよう。世界各地の民族の感性は、また他の専門家に委ねればよいのである。
 美術は宗教を超えるか。この問いを以てタイトルとした本であるが、「言葉によらない美術は個々の宗教を超えた普遍性を持っており、よく開かれている。美術は誰にでも親しめるものだが、それを支えているのが宗教である」という示唆で結ばれるその「はじめに」である。他方、佐藤優氏による「おわりに」では、自分が専ら聞き手であったことを述べ、2人の信仰的背景を説明するに留めている。美術と宗教との関係を考える上で、キリスト教のイコン(聖画像)の位置づけを重視した議論を振り返り、神をその向こうに見る心を改めて確認している。
 こうした点を垣間見た上で、本書の細かな話を味わうと、しばし美術鑑賞の時間としても楽しめることだろう。
 与えられる知識は膨大である。歴史に重ね合わせての理解も必要だし、共産主義や北朝鮮の事情までも視野に入れながら、そこにも宗教性が潜んでいることを明らかにして、本書の伝えたいテーゼが、簡単には否定されないように準備するところから始まっている。
 それは、イコンが必ずしも偶像礼拝にはあたらず、イコンはただの「窓」である、という点を強調することによって、脇を固めてゆく。そうすることで、仏教にも目を向け、さらにAIやバイオテクノロジーにも宗教性が隠されていることに触れる。そう簡単に宗教と言ってよいのかどうか疑わしいと思う人もいることだろうが、そうした点は、佐藤氏の領域であるだろう。
 マリア信仰にもかなりの頁を割いている。カトリックでどうしてマリア信仰が強いのか、またプロテスタントはそれをどう理解していったのか。対談の2人はどちらもプロテスタント教会に属するが、カトリックに無知で神学も美術史家もできるわけがないわけで、話の中に多くの興味深い話題が登場し、傍らで聞いていて非常に面白い。
 後半では、宮下氏が説明を得意とする、カラヴァッジョが中心となり、「聖マタイの召命」を中心に、予定説や自由意志の問題も含め、聖書と対峙した画家と、人々の考えや信仰とについて説き明かそうとしている。ここは重厚であり、細かな議論もじっくりと聞いてゆきたいところである。
 そうして、より聖書という背景を重んじつつも、「美術鑑賞は宗教行為である」というテーゼ野本に、最後の章が飾られる。2人の訴えたいことが存分に語られる。その主張をも受け容れるかどうかは読者次第だが、日本人がキリスト教的な宗教性を本質的に感じることが薄い中で、ただ美術作品をきれいだとか人間を描いているとかいうレベルだけで鑑賞するのではなくて、その向こうに「見えないもの」を見ている精神性に少しでも気がついて、関心を寄せてもらえたら、と願う著者たちの気持ちは、私には分かるような気がするのだった。




Takapan
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