本

『アントキノイノチ』

ホンとの本

『アントキノイノチ』
さだまさし
幻冬舎
\1399
2009.5

 心を描き、心に迫るという意味では定評のある、さだまさしの小説である。
 もともと歌手、そしてソングライターとしても一目置かれているが、ファンであれば、そのトークの面白さがまたたまらないかもしれない。
 曲も美しいが、その詞の美しさがとくに目を惹く。日本古来の美しい言葉を大切にし、さりげない言い回しの中に、深いところへの眼差しや人間の心の通い合いなどを香らせる。言葉への感覚の鋭い人であることは間違いない。
 いくつかの小説で成功しているが、今回の長編は、いつものように重たいものをずっと抱えつつも、読後感の爽やかさの点で抜き出ているかもしれない。青春小説でもあり、タイトルにあるように「いのち」への問いかけと一つの答えでもある。
 お勧めの本と言ってもいい。
 たしかに、これは芸術としての文学からは遠いかもしれない。言葉も実に平易で、言葉の理解の上で何の困難もない。改行も多すぎるくらいで、スムーズに読める点でも、いかにも現代的であると言えるだろう。そのあたりも、うまくできている。しかし、つい、入っていってしまうのも事実だ。「読ませる」ということだろうか。そして、主人公と一緒に思い悩み始めてしまうのだ。
 仕掛けは少々偶然性に委ねられすぎているかもしれない。また、分かりやすさと引き替えに、松井という男をあまりにも悪魔的に描きすぎてしまったようにも見える。キャラクターの色分けという点では分かりやすいが、彼には救いがなかったのか、とも感じる。尤も、最後のシーンで、彼への救いが描かれている、と思えばそれはそうなのだろうと思うから、爽やかなものとして読み終えることができたのかもしれない。作者の狙いはそうかもしれないし、読者にそこを委ねているのかもしれない。
 それにしても、その職業設定がやはりいい。この着眼点だけで、物語は殆ど出来上がっていた、と言ってよいのかもしれない。孤独死や変死のために乱れた部屋の整理をするのである。一種の引越業者であるが、極めて特殊であり、そして、たしかに必要とされる営みである。そこの社員がまた魅力がある。命に対する敬意が土台にあることで、逆に私たちはこの社員の方々を尊敬してしまう。そして、「孤独死」というような言葉につきまとう偏見を吹き飛ばそうという思いにも満たされる。その意味でも、よい提言になっていると言えるだろう。
 しかし、そのおぞましさも避けられず、この物語が映画化されるとなると困難が伴うだろうという気もする。そこまで心配しなくてもいいだろうか。
 よく考えてみれば、この物語に遺体はひとつも登場しない。血が流れるというのも、学校時代の思い出の中で少しある程度だ。映画化はもう誰かが企画しているような気もする。
 今の仕事のことと、昔の思い出とが規則的に交錯して流れていく。その流れが単調すぎて、分かりやすすぎるのも事実だが、その分かりやすさが、確かに「いのち」への作者の訴えを誤解なく伝えていく力をもっている。読者もまた、引きずる過去の網を破って、今日、立ち上がることができるような力を与えてもらえる。「巧い」と思う。
 手に取られて、損は少しもない一冊だとお伝えしておきたい。




Takapan
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