本

『あの日にかえりたい』

ホンとの本

『あの日にかえりたい』
乾ルカ
実業之日本社文庫
\571+
2013.6.

 最近お気に入りの乾ルカの小説。世間には最初、ホラー作家かとも思われたらしいが、神秘的ではあるにせよ、ホラーと呼ぶものではないような気がする。それは、評者も言っている。とにかく本書にしても、解説の瀧井朝世さんが絶賛なのだ。解説者は絶賛するに違いない、という事情はともかくとして、本当に作者のよいところを輝かせる仕事をなしている。但しここではストーリーをばらしはしないので、物語よりも先に読んでも構わないだろうと思う。
 一日にひとつずつくらいのペースで読むといい。そういう短編集である。タイトルは、収められた短篇のうちの一つの題である。それは、解説でも触れているように、それが最も優れているかどうかという観点よりも、集められた物語の全体を象徴する形になっているからである。
 確かに奇妙な物語である。神秘的な物語ばかりである。現実にはない風景である。非日常的な物語が続くのであるが、そうしたありえないフィクションには、現実以上のリアリティがある場合がある。亡くなった人と会いたい、そういう思いがあるとする。現実にはそれは叶えられないであろう。だが、一筋の風の中に、あるいは日だまりの花の中に、その死者と出会う体験というものは、あってもいい。たとえ自分の心の中だけの出来事であったとしても、それは再会だったのだ、と自分で確信していることができるのであれば、それでいいのだ。
 ここに集められた6つの物語は、どれも「あの日」という視点が重なってくる。あるいは、時間を超えた出会いがある、とでも言えばよいだろうか。作者の中に潜む「時間」概念は、並の人の想像力を超えている。タイムマシンで移動して、というようなありもしないSF物語であるのでもない。何かしら理屈を重ねて、どうして過去から来たのか、のような解説を試みようとすることは如何にもダサいと感じるようになる。
 どの物語も、時間経過がおかしい。しかし、誰もそれを説明しようとしない。心象内の出来事に過ぎない、と断定する冷酷な観察者が世の中にはいるかもしれないが、それでもこれらは事実であり、出来事なのだ。私は信仰によりそのようなひとつの像を有しているから、その点では肯定的である。亡くなった人と会えたとしても、臨死体験をしたとしても、奇跡的な出会いを果たしたとしても、それらは読者を納得させる力をもつ物語であるのだ。
 そう、私はこれで十分だ。下手に物理学的な解説などしなくていい。あまりにも奇妙な展開ではあるが、それをありえないと断言させる力が私の中に起こることを、懸命に阻止するものがある。否、私は一緒に涙した。この気持ち、何かしらのものが胸ぐらを捕まえて、心臓を鷲づかみにすることすら感じる。
 そして、大切なことは、読後感が爽やかなことだ。特に最後の「夜、あるく」は、本書を閉じたときに「ああ、読んでよかった」と思わせるに十分な感情を置き土産にしてくれる。こればかりでなく、どれも、ある意味でのハッピーエンドなのである。どうして最後は死んだのにハッピーエンドなのだ、と思われかねない話もある。でも、何らかの意味でそれはハッピーエンドなのである。どうしようもなく切ない旧友たちとの花火遊びの経験が、現在にうずくまるような結果をもたらしても、何らかの意味でハッピーエンドなのである。
 幸せの形はどこも同じようだ、というような言葉もあるが、幸せだと感じる事柄については、百人百様であるだろう。これらの物語は、自分の身の幸せに気づかせてくれるかもしれないし、何かふっきれない過去がまとわりついている人も、心が拭われるような気持ちにさせてもらえるかもしれない。
 この人の文章は、不思議な世界を描くわりには、意味不明なところがどこにもない。疑問を持ちながらひっかかるようなこともなく、ぐいぐいと引き込まれて読んでいくように仕向けられる。不思議な作家である。まだ手許に何冊かあるから、それらも楽しみである。




Takapan
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