本

『あのころなにしてた?』

ホンとの本

『あのころなにしてた?』
綿矢りさ
新潮社
\1300+
2021.9.

 かわいいイラストが囲んでいるブルー系の表紙に、ところどころ黄色が塗られている。手書きの文字のタイトルもブルーだが、一部は、縁取りはブルーだが中は黄色に塗られている。黄色いところが「ころな」である。
 2020年の日記が公開されたと考えるとよい。しかし恐らく途中からは、出版することを意識して文章がそれらしくなっていくように見える。
 京都の紫野高校在学中に文藝賞を受け、2004年には19歳にて芥川賞を受賞したときには一大旋風を巻き起こした。あどけないきれいな顔立ちをした京の少女がしでかしたことで、後の言葉でいうと、かなりザワついたのである。まさにアイドルであった。
 若い感覚は、必ずしも人間の深い心理をまさぐるようなものではなく、時代の中で飄々と作家活動を続けてきたが、あまりマスコミの表に出るようなこともなく、比較的地味に活動を続けてきた。それはよかったのだろうと思う。私のような男が好んで読むタイプではないと思って初期のものに少し触れたくらいだったが、『生のみ生のままで』(きのみ……)はテーマからして惹かれた。百合ものと言ってよいだろうか。実に生々しい、そして心理的にだが深いものを覚えた。阪神淡路大震災を扱った『大地のゲーム』は賛否両論あったが、関西の人間として、あの震災はどこかで向き合わなければならないものだったはずだ。
 さて、本書に戻ろう。日記形式で、ストーリーがあるわけではない。コロナ禍と呼ばれる時期に入り、何をしていたかをレポートする。日常の風景や、どこそこへ行った、何を食べたというようなところを含め、世間を眺めている一市民の視点がずっと続く。記憶に新しい読者の立場からしても、そうだった、と思うことばかりである。
 特別に感染者が身近に出たなどということはなく、テレビのワイドショーからの情報に時折流されるなど、非常に庶民的な対応がくすりと笑わせる。
 いや、著者は、テレビやラジオのインタビューを聞くかぎり、重たい考え方をするタイプではない。誤解をされるのもよくないが、確かに「軽い」対応をする。本書でも、奇妙な情報に軽く乗ってしまうところは、文化人らしからぬ姿である。だが待てよ。このコロナ禍において、文化人とかなんとかいうことなく、みんなうろたえていたのではないだろうか。変な情報を鵜呑みにしていてSNSで拡散していたのは、キリスト教のお偉いさんもいたりしたのだ。冷静になれば奇妙であることは分かるのに、妙なウイルス撃退法を宣伝していた。それに比べると、綿矢りささんは至って冷静である。静かに人間を観察している。気取らないが、やはり着目点や描写については文学者だ。味わいがある。
 味わいというと、日記のところどころに、写真がある。これは著者自ら撮影のものだ。家のこんなものが、と文で表したばかりでなく、その写真が付いてくる。このSNS感覚が実にいい。
 いやいや、写真ばかりではない。素人っぽいイラストがそこかしこにある。これもまた著者のイラストなのだそうだ。表紙のかわいい落ち着いたものは別のプロだが、本文中の素朴なイラストは著者の手によるのだ。しかしこれもまた味わいがあるのであって、決して下手なことはない。マンガ的に情況を説明しているものも多いが、なかなかよいのだ。これを眺めるために通読しても損はないくらいだ。
 京都は私がしばらく住んでいた街である。伏見人形の絵があった。父と母とどちらが好きかと訊かれた着物姿の子が、饅頭を2つに割り、どちらが美味いかと問いかける人形である。その店、私は行ったことがある。その人形のイラストがとてもきれいなのが懐かしかった。思えばこの逆質問、福音書のイエスの態度に似た者があるのではないだろうか。
 2020年の1月から12月までの、飛び飛びの日記を読み終わると、10頁を越える長い「あとがき」がある。ここは日記ではないので、その後1年遅れのオリンピックなどを見た上での感想となっているが、コロナ禍は思いのほかずっと続いているという思いを綴っていた。概観してまとめて記しているだけに、落ち着いたそれなりの分析を伴う。しかしそれらは決して抽象的にならず、いつも具体的なのがいい。肌で感じたものに対する正直な自らの感覚を描写していく感じがする。
 ごく普通の庶民の感覚をもちながらも、描写としては素人では出せないものを次々と繰り出してくる。そこはさすがである。ぐいぐいと食い込んでくる刃のような文章ではない。水面を撫でていく風のように、人生と生活の表面にさらりと触れてそよいでいく風のように、文が流れていく。爪痕を残すものではないけれども、必ず振り返らせる、そんな魅力をもっている。ちょいと軽薄な感じがするときもあるけれども、断片的な日記の頁と異なり、この「あとがき」を見る限り、まとまったひとつの見解を知ることができる。
 切実な危機の中に生活している人のことを思いやるというのは本書には出てこないが、私はそれを常々感じている。深刻な沼の中に吸い込まれないように、さしあたり周辺は穏やかであるとしてコロナ禍の中で生活していけるものだとすると、著者が最後にこぼした孤独なかけ声に、私も肯いてみたい。  つくろわないで、くつろいで。




Takapan
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