本

『アニマル・ファーム』

ホンとの本

『アニマル・ファーム』
石ノ森章太郎
ジョージ・オーウェル原作
ちくま文庫
\740+
2018.11.

 元は1970年に、4号にわたって連載された漫画なのだという。週刊少年マガジンで一回平均50頁くらいだから、いまでは考えられない連載だ。解説と称するあとがきの中で、中条省平氏が高校一年生のときにこの作品を見たと言い、子どもっぽいと思っていたら、後々子どもだったのは自分であったと覚ったと記している。
 私もそういう年代のとき、英語の教科書でこれを読まされたことがあった。「動物農場」という日本語のタイトルで了解していた。そもそも頼りない英語力である上に、なんだか面白くもないものだとやる気がなかったが、この漫画で見ると、手に取るように内容が分かる。伊達に年を取ったわけではないのだと自虐的に笑ってしまいそうである。
 ジョージ・オーウェルのことだからどれほど内実含みをもっているかということも、いまとなれば十分分かるのだが、高校一年生というのは、何も知らないに等しかったのである。
 始まって数頁で、もうこれが何を言おうとしているか、一目瞭然である。それが何であるかは、やはりネタバレの領域になるだろうから、ここでははっきり明かさないことにする。豚が農場を乗っとる。人間による支配から逃れようとして、あらゆる家畜たちを集め、その呼びかけた豚自身は人間に殺されるのであるが、その死によって動物たちは一つになる。やがて人間を追い出して、動物たちの国をつくる、というわけである。
 石ノ森章太郎さんもまだ30過ぎ、まだ若かったであろう中で、よくぞこれだけ理解し、また噛み砕いてあらゆる表現の手段をとって少年たちにこの作品を提供したものだと感心する。さすがということだろうが、思想的に十分理解しないと、これだけ描くことはできないだろう。
 名作を漫画にしているシリーズが他にもある。それも力強くよく描かれているとは思うが、なんというのか、思想的にどれほどその漫画家が把握しているかというと、疑問を抱くことがないわけではない。そこへこの石ノ森章太郎である。手塚治虫と肩を並べるだけのことはある。高校卒業で宮城県から上京しているから、学歴に関係なく、やはり頭の良かった人なのだとつくづく思う。確かにその後も、それに見合う重厚な作品を世に問うているし、あまりに深くなりすぎて未完のままだという大作もある。恐らくオーウェルが好きだったのだろうと思う。手塚治虫もまたこのように教養溢れる人であったから、それをひとつのモデルとして、果敢に学び挑戦していたのかもしれない。
 絵の巧さは言うまでもないが、思想を理解してそれを描くとなると、並大抵のものではない。このようにして、後世に残る作品を生みだしたというのは、まことに驚異的である。
 いま読んでも十分新しいように見える。逆に言えば、石ノ森章太郎は半世紀早すぎたのだ。そして、作品に感心しているだけで終わってはならない。これは現代の社会の出来事なのだ。決して、歴史の中のあの部分を描いた、という評だけで済ませてはならない。今も世界を、また自国を、睨んでいなければならないのだ。また、当然自分のことも、この物語から自戒していくのでなければならないはずなのだ。
 本書には、ほかに「くだんのはは」と「カラーン・コローン」の二作が掲載されている。前者は小松左京原作である。どちらも、決して読後感は爽やかではないのだが、不思議な世界を私たちに提供してくれる。「アニマル・ファーム」と同じ年の作品である。
 もちろんいまの世にあって生まれていく作品にも面白く、またすばらしい作品は多いが、かつての名作は、やはりそれだけの理由があって認められているとも思う。決して懐古趣味というわけではなく、社会的に、また精神的になお通用し輝ける内容のものは、こうして掘り起こし、また提示していく機会が与えられなければならないと思う。そして受け継ぎ、またより普遍的な問題として、私たちが抱えて育み、また解決していく誓いをなさねばならないはずである。




Takapan
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