『全世界史上・下』
出口治明
新潮文庫
\+670+,800+
2018.7.
宗教や哲学の歴史を綴った大著を読んで、同じ著者の歴史ものも読んでみたい、と思った。その読書通と博学さについてはよく耳にしていたが、それをこうした形でアウトプットできる、ということが、また不思議でもある。全部自筆で綴っているのではなく、メモのようなものがあるにしても、口述が主体で作られている、というのは他の著作と同様なのであるが、それまたなおさら私などにはできない真似であって、尊敬の一言に尽きる。
さて、この世界史は、文字資料が得られる五千年くらいの歴史を辿っているという。それを、千年単位で章立てしているわけだが、さすがに最初の二つはひとつの章に合体させられており、逆にこの千年に於ける歴史については、前半後半の二つに分かれて綴っている。しかも、その前半の残りわずかと、後半だけで下巻を構成している。当然であろう。
こうした歴史観を掲げている著者はまた、歴史に興味をもつことの意味を「まえがき」で記しており、たんに知識を披露しているのではない、ということが分かる。というよりも、これだけ歴史に通暁していると、この歴史を自分の問題、現在から未来への問題として受け止めざるを得なくなってくるであろう。積み重ねられた歴史を学ぶことの大切さを、そこでは熱く語っている。また、日本史とか中国史とかいうものがバラバラにあるのではなく、ひとつの歴史という枠組みで人類全体を捉える眼差しもそこで読者に与えている。
そういうわけで、この歴史の内容をいまここで辿るようなことは無意味であるから、受けた側の印象のようなものを幾つか並べてみようかと思う。
まず私の手に取ったのは、文庫版である。元々はその2年半ほど前に、同じ新潮社から刊行されたものを、「講義」といった部分を取り払って文庫化したものであるという。2年で文庫というのは、新潮社の考えなのであろうが、読者としては、少し待てばハンディ版が入手できるということで、少しうれしいような気がする。
それから下巻の最後に、索引が付けられている点が評価できる。特に文庫版で索引というと、ただでさえ500頁近くの厚みをもつものがさらに頁を増やすことになるので、敬遠されがちではないかと思う。どうせ文庫なんて読み捨てだから、索引を必要とするほどの利用価値はない、とでも判断するのか、略されることも珍しくない。だが本書は、丁寧な索引を設けており、利用者の便を図っている点がよい。
巻末には、参考文献も挙げられている。これもまた、学習のため、研究のために、ありがたい配慮である。もとよりとてつもない読書量を誇る著者であるから、ここにあるのは一部であるかもしれない。だが、本書から次の1冊へと深めたいときに、大いに参考に鳴ることだろう。あるいはまた、本書に記されたある場面がとても気になって、それについてもっと知りたい、というときには重宝するに違いない。但し、著者自身の読書のため、そして読者への配慮のためでもあるのか、文献はすべて日本語によるものである。訳書のないものは扱っていないのだが、恐らく著者自身もそうなのだろう。見ていると、単行本も多いが、文庫の類いが特に多い。日本に文庫に出ている歴史関係の書物は、ここに殆どが挙げられているのではないか、と思われるほどである。大学生のレポートや研究のためにも、そして教養を身に付けるためにも、この参考文献はなかなかの物件である。
但し、そこには全集やシリーズものが最初にまとめられており、岩波講座あたりでも新旧併せて60巻を数えるものや、週刊朝日百科の世界の歴史は、いくら薄手であっても131冊を数える。中央公論社の世界の名著は私も本当に質がよく学生も手に取りやすいということで重宝したのだが、その81巻が、たった一行で参考に挙げられているとなると、本気で全部を相手にするなど、夢のまた夢となりそうな気がしてならない。
歴史は、できるだけ公平に書かなくてはならないだろう。だから、宗教関係のものについて、距離を置くことがあってもよいとは思う。だが、パウロの回心を作り話と一蹴したり、新約聖書のパウロ書簡はパウロの考えたことを書いたと断じたりするのを見ると、時折本人の信念や思い込みを、真実であるかのように言い放ってしまうものだ、ということを感じ、残念に思わざるを得ない。書いてあることを伝えればよいのに、自分の意見を真実のように表に出すのは、古来の悪しき歴史家のやり方ではあっても、近現代の歴史家の姿勢とは異なるのではないか。
それから、著者自身の人生とも重なる時期についての歴史は、もはや歴史というよりは現代世界の叙述にならざるをえないのであるが、あまりにも情報量が多すぎて、事件の単なる羅列になってしまったところは惜しい。古い時代については、それなりに原因結果や背景のつながりなどに触れながら話していたのが、現在に近くなると、紙数の関係で仕方がないのかもしれないが、立て続けに誰がどうしたとかどここの国がどうなったとかいうだけの記事で目まぐるしく進んでしまうのである。仕方がないことだとは思うが。
それから、ここでいう「歴史」とは、要するに国のトップや有力者の政治関係ばかりが綴られたものである。王や貴族の名が、何をした、こういう関係になった、ということを描くのは、それはそれでもちろん世界を動かした歴史ではあるのだろうが、そのときに生きていた人間の数からすると大多数、否殆どを占める庶民がどういう暮らしをしていたとか、どのように社会を見ていたかとかいうことは、全く浮かんでこないのである。これもまた仕方がないことなのだろうが、果たしてそれが「全世界史」なのであるかどうか、私は非常に懐疑的である。現代的に言えば「国家」が何を時の中に刻んできたか、それだけが書き連ねてある。宗教も、思想内容よりも、国家をどう動かしたか、にしか関心がないような叙述ばかりであって、要するにこれは国家の歴史をあちこち綴った、という本なのだ、というふうに感じた。

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