本

『すべては音楽から生まれる』

ホンとの本

『すべては音楽から生まれる』
茂木健一郎
PHP新書497
\680+
2008.1.

 最後に知ったが、基本的に口述なのだそうだ。けっこうな売れっ子作家だから、とても器用なことができる才能もおありなのか。使徒パウロもそんなふうだったと言われているが、口で語ると、勢いや感情がそこによく出てくることになるのかもしれない。
 本書も、音楽愛が溢れている。サブタイトルには、「脳とシューベルト」とあるが、必ずしもシューベルトだけが大きく扱われているとは言えないように思う。そこは種を明かしてよいかと思うが、「序」にあるように、シューベルトの「未完成」という曲の示すものが、キーワードになっている、と筆者は考えているのであろうと推察する。
 本書全体が、きっちりとした構造で組まれているというよりは、確かに自由に思いつくままに話題が展開しているところを愉しみたい。その気持ちで、自由に流れる音楽に心を任せるようにして読むのが、本書の味わい方ではないかという気がするのだ。
 だから章毎に何がどう書いてあるか、という点を探るのは得策ではない。随所から、心に流れる、えもいわれぬものを受け、身を揺らしてゆくとよいのだ。
 ひとつ、今回得たものがある。それは、筆者がお得意とする「クオリア」という考え方である。先に、クオリアを真っ向から紹介した本があったのだが、どうにもそこでの説明が、よく分からなかった。入門と銘打っておきながら、クオリアそのものについて解説を試みるというよりは、すでに分かりきっているかのように話を進めてしまっているように見えたのだ。それが、今回のお喋り的な文章からは、むしろ読者の心に届く説明になっていたように、私には思えたのだ。
 それだけ、自由なお喋りというのは、なんとか伝えよう、分かってもらおう、というモチーフに満ちている。また、筆者自身の音楽の趣味や考え方をのびのびと語っていることが、鼻につくようなことよりもむしろ、心地よい風となって、漂ってくるのだ。否、むしろそれが音楽であり、リズムである、と捉えるべきであろう。
 鼻につく、と言ったが、それは次々と繰り出されるクラシックの知識に、音楽専門家でもないのに、知識をひけらかすようなふうに聞こえないとも限らないように感じたからだ。文化的によい環境にあるのは間違いない。有名な演奏に立ち会ったり、生活の中で頻繁にクラシックのコンサートに出向くことができる立場でもある。好きだから、いろいろ調べてモーツァルトなりワーグナーなり、たくさん知るところも多くなるだろう。そうした作曲家のエピソードもふんだんに紹介しているし、時には哲学に踏み込む。「言葉と音楽」という大きな深いテーマを、2頁余りでさらりと語り尽くしてしまうのも、大胆すぎる態度ではあるだろう。しかもそこに、神の存在までも盛り込んでくるから、非常に大きな構え方である。さらにそれが「生」の哲学につながるあたりのことを、これまたさらりと語ってしまう。なんとも羨ましいほどの大胆さである。
 確かに、これでは酔客の独白のように受け取られても仕方があるまい。しかし、だからこそ、そのようなものとして、愉しんで読ませてもらえばよいのだ。
 最後に、ルネ・マルタンという音楽プロデューサーとの対談が掲載されている。音楽祭を始めた人であるそうだが、音楽について気持ちが結びつくところがあったのだろう、楽しげな話が、けっこう長きにわたって展開する。音楽をビジネスとして実現してゆくことについては、筆者自身としては経験していないことであろうから、この対談があることで、本書は立体的な現実感を得ていると言えるかもしれない。
 脳科学が専門の筆者である。時折、脳科学的に音楽の快さのようなものを説明しようとする場面もあるが、結局そうした説明はできないのだ、という立場は明らかにしている。それを解明しようとする学問的追究もあり得るのかもしれないが、数値化を拒むクオリアという概念を標榜しているように、音楽の中に、言葉で語り尽くせない本質を感じている、というところなのだろうか。
 脳科学に還元しないという点は確かにそうだろうが、その他各方面で、芸術はもちろんのこと、経済や教育、心理学や哲学についても言及する幅広い活動をしている筆者である。現代でこれほどに手を広げて発言するということには、よほどの勇気が必要ではなかろうか。そして、脳科学という基盤があるために、すべてが本当にそうなのだ、と読者に思わせるような効果が存在するとするならば、少し危険な香りもするのではないか、と案じている。ここにあるのは、ひとつの趣味の語りである。そういう捉え方で読書すべき、軽い読み物でしかないと思うのだが、妙に心配しすぎであっただろうか。




Takapan
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