本

『悪について』

ホンとの本

『悪について』
中島義道
岩波新書935
\735
2005.2

 カントの「根本悪」は私も興味をもったことがある。だが、当時は信仰をもちはじめた頃でもあり、哲学を理解するだけの経験もそうなかったことから、ストンと呑み込むことができず、そのまま哲学の研究をリタイアすることとなったことで、いわば放り出していた問題であった。
 それがこのたび、腹に落ちた。ああ、カントはそんなことを考えていたのだ、とよく分かった。
 中島氏は、たくさんの本をヒットさせている。そして、世間にぶつぶつ文句を言うばかりでなく、かなり行動的に、苦情を発散させているような生き方をしているところもある。私と共通点もいくらかある。
 ただ、カント研究家としても立派な仕事をしているわけで、この本も、その研究がよく活かされている。論文的引用はまったくなく、すべて著者の言葉による解説・展開となっており、だからこそ、ストレートに響いてくると言ってよい。
 この本の内容を、ここで短く述べることなどできない。また、幾らかでもカントのことを知らないでは、記述の隅々までは堪能できないかもしれない。
 しかし、「悪」とは何ぞやと考え込んだ人には、お勧めしたい。くどいくらい繰り返し、たたみかけるような説明で、実に分かりやすい本となっていると思う。
 カントはやはり一般的には「道徳」の哲学として捉えられている。それはそれでいいと思う。だが、その道徳というものが、善いことをしましょう風にイメージされていると、全く理解できないところが多い。しかも、凡そ現実離れした論理ではないかと誤解されることも少なくない。
 だが、中島氏の結論から響くことは、カントは極めて現実的な道徳をきちんと述べていたのではないかということが分かる。人間は、道徳を実現することなどできないほど、根っこから悪に染まってしまっているが故に、つねに、これで善かったのか、どうすべきだったのか、と思い悩むのだ。
 たしかに、安易に「これが善である」でおしまいの道徳なら、誰も自分の行為に悩むはずがない。この現実に即した道徳論として、カント倫理学を生き返らせようとする試みのようにさえ、見えてくる。
 たぶん、著者自身の叫びが、途中から重なってきていた。何が悪であるか、叫びたい思いがはじけていた。
 そして私としても共感するところが多かったが、著者が言及していないことを、ふと思った。カントは、やはりルソーを尊敬し、あるいは傾倒していたのだなあという感想だ。




Takapan
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