本

『愛と狂瀾のメリークリスマス』

ホンとの本

『愛と狂瀾のメリークリスマス』
堀井憲一郎
講談社現代新書2401
\840+
2017.10.

 著者については知るところがないので、人物をどうこういうつもりはない。題だけ見ると、これは興味深いと思うし、誘い文句もうまいので、新書としてわりと読まれる本となるのではないかという気がしていた。
 朝日新聞などを念入りに調べたという点で、ふだん人々が気づかないことに執着し、明らかにしてくれるという作業は、ありがたいものだと思う。クリスチャンでも、クリスマスがお祭りになっていることを嘆くことがあるが、果たして歴史的に、いつからなのか、あるいはいつごろが最も盛んに騒いでいたのかなど、掘り起こしてみないことには分からないことが沢山ある。それを丁寧に繙いてくれたという点では、貴重な風俗史として意味があるだろうと思う。
 サブタイトルは「なぜ異教徒の祭典が日本化したのか」となっている。私はこの文句に躊躇した。何か嫌な予感がしたのである。ある読者は、この問いにはついに答えていないのではないか、と疑問を呈していた。その意味では、売りのためにありがちな、「なぜ」の問いかけ口調を踏襲したということだけでもまだ済む。
 しかし、この本は、明確に、キリスト教を憎悪している著者の感情がむき出しになっている。論理とか歴史的観点とかいうことではない。とにかくキリスト教が嫌いなのである。それをここで証拠立てるつもりはない。読者が判断してくださればよいと思う。言葉の端々に、キリスト教に対する、ただ「異教」というだけの理由による罵詈雑言が感じられるのは、恐らくクリスチャンとしての私だから、というだけではない。
 面白いと思ったのは、太平洋戦争前のお祭り騒ぎがやたら激しくピークだったのであろうという、いまを生きている私たちにはピンとこない点を、新聞記事あるいは雑誌なども含めた資料から明らかにしてくれたことである。また、もちろん戦時中にはそれがなりを潜めるが、戦後のキリスト教ブームという中で、これが戦前のときのクリスマス騒ぎとは質が違っているのではないかという考察。この点は傾聴に値する。
 また、経済発展とともに、ただの騒ぎが、家庭へと引っこんでいき定着していくこと、また、より「子ども」のための行事へと変遷していくことが刻まれていくが、いまの私たちは、すっかりその路線の中で育ち、クリスマスを感じてきた者であって、それが日本のクリスマスの常態であるようにさえ感じていたことを言って反省させられる。そして近年は、恋人たちのものとなるのと、生活ファッションを彩る雑誌が、クリスマスを重視しなくなった現状にも触れており、この百年の流れを見てくると、いろいろ考えさせられることがある。
 しかし、その歴史を示してくれればよかったものを、個人的な感情で随所に、キリスト教は日本には関係がないと言うばかりか、関わるな、出て行けと、被害妄想的に叫ぶ言葉を盛り込んで綴っていくというのは、読者が引いてしまうくらいならよいが、不快感を与えるものとなっているように思われるし、また、傍から見て、品がない。元々品格などというものをせせら笑うのが商売なのかもしれないが、何のための本であるのか、今度は著者の人格が問われてしまう。つまり、読者に資料を提供して見聞を深めてもらおうとするのか、それとも自分の憎悪を少しでも正当化しようとするために、使える新聞や雑誌の記事を味方につけようと立てこもっているのか、分からなくなる。
 資料は確かに面白い。あとは、この著者の感情をどう受け流すか、その辺りの対処の仕方ができるかどうかで、読んでみてよいかどうかが決まるのではないかと思われる。




Takapan
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