本

『輝く明けの明星』

ホンとの本

『輝く明けの明星』
平野克己編
日本キリスト教団出版局
\2500+
2018.11.

 待降と降誕の説教が集められている。「日本の説教者の言葉」というふれこみは、先に十字架と復活に絞ったものが出版されているが、この2018年のクリスマスへ向けて、クリスマスバージョンが発刊された。編者は平野克己氏、説教に対する情熱については日本有数であると言える。刺激的な話題や内容で挑戦する季刊誌『Ministry』の編集に携わり、とくにその説教のコーナーを担当している。また、加藤常昭氏の説教塾をリードする立場にもある。それだけに、説教に対する情熱と、それを見る目は確かだと言えよう。
 日本の宝が埋もれている。帯には「日本の教会の宝」と明確に記している。集められた人々は、名だたる説教者である。しかしまた、知られていない説教者もいる。一つだけを選ぶというのは容易ならぬものであっただろうと思われるが、編者の観点から優れた説教と見られるものが一人ひとつずつ集められている。
 クリスマスの説教というと、ほぼ内容が限られるのてばないか、と思われる方もいらっしゃることだろう。しかしこれらの説教で開かれている聖書箇所も、実のところ多岐にわたり、いわゆるクリスマス・ストーリーからばかりではない。実際にアドベントからクリスマス後までに語られたものであり、実質教会でクリスマスに適したメッセージであったはずである。だから迷いなく、これはクリスマス期に向けての聖書からの説教であると見て問題はない。
 それにしても、説教者により説教も様々である。聖句が開かれていても、わずかにそれに触れただけで後は殆ど何も聖書の解説のようなものがなされていないという説教もある。しかしそれもひとつのあり方である。主題説教として見事に統一され、聞く者の心に残るものとなっている。
 説教は文字となって読むのはよろしくない、と考える人もいる。声や間の取り方など、音声的データをすべて以てしても、まだ語り尽くされ得ないものがそこにあるはずである。文字面だけでなにもかもが分かったように思うのはよくない。とくに説教は、会衆と一体になり、その具体的な会衆に向けて語られるからこそ、説教であり得るのであって、誰にどのように語ったかということは極めて重要である。しかし本である。印刷しないと仕方がない。だがそれでも、電気が走るような刺激を受けることがある。読むだけでも、大いに先人たちに触れるとよいだろうと思う。
 無名の説教者から、私は涙が出るほどの感動をもって、切ない思いで読ませて戴いたものもある。巧いなぁと羨むような流れで神の言葉を語るものもあった。人それぞれに、お気に入りのものが見出されるとよいと思う。そして、いまいちど説教とは何であるのか、読者自らに問いかけながら、味わっていくのもよいのではないかという気がした。
 一つの説教の終わりに、編集者が、その人物について、またその説教について、短くコメントする。完結なその経歴説明と、本説教についての味わいやその意義などが2頁ほど示されるという形を繰り返して本書は進んでいく。この解説が、短くてしかも要点を適切に示しており、そのたりはさすが編者の力量なのだと、これまた感動する要素となりうる。名前だけは聞いたことがあるという人物についても、その来歴や性格などをコンパクトに知ることができて、なかなかの優れものである。説教は語る者の人格を反映しているとするならば、このような情報はとても大切なことだったのだ、と改めて教えられる。
 ともかく、良い説教は何らかの形で触れたほうがよい。説教こそが、教会を変え、人を変えていく。それくらいの見方をしてもよいだろうと思う。神の言葉がそこから出て、人を生かしていくのである。私もまた、それにより生かされた一人なのである。




Takapan
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