本

『赤ちゃんの生命のきまり』

ホンとの本

『赤ちゃんの生命のきまり』
西原克成
言叢社
\2100
2002.12

 タイトルは「あかちゃんのいのちのきまり」と読む。改訂新版だといい、2001年から一年後に何カ所かを加筆している。しかもどこを加筆したのかを明確にしている点は、説明で強調されているとはいえ、誠実なやり方である。なぜ改訂したかというと、2002年に、「母子健康手帳」が改訂されたためである。
 この本は、その「母子健康手帳」を批判することが一つの大きな目的となっている。
 行政が企業戦略と密着したために、誤った子育ての指導を行っている。赤ちゃんについてはまだまだ分からないことがたくさんあるのだが、いくらかでも分かってきたことをよく考えていくと、いわゆる母子手帳に記してあることや、保健所での指導が誤っていることが分かるという。誤っているばかりではない。その指導が原因で、アレルギーやさまざまな成長――心をも含む――の問題が起こされてきているのだというから、これは単なるあら探しではない。
 私の妻は、その保健所で働いている。この本のことを話すと、当然、多少の反発があった。こうした本を読んだために、保健所の指導を突っぱねる母親がいるとのこと。
 母乳は故意に止める必要がない。早期離乳食がアトピーを作る。おしゃぶりの奨励。――こうしたこの本の主張は、保健所の指導に反している。では、どちらが正しいのか。私たちは、その「正しさ」を知りたいと願う。しかし、人の数だけ「正しさ」があるとすれば、どちらかが一方的に正しくてもう片方がすべて間違っている、という決め方も問題がある。とすれば、従来そういう決め方をしてきた、行政側の態度にも、問題があったということである。それに比べると、この本の主張は、「〜せよ」という宗教がかった命令ではないように見えてくる。
 中には、宗教めいた子育て教義があるらしい。とにかく「〜しなければならない」の一点張りで、他を認めないというのである。自然食品云々などと言い始めると、どうも商売絡みなのだなと思えてくるが、ある助産婦さんの経験からこれがいいと思うと、それしかない、という流れを作っていく、そんなことがあるのだそうだ。
 そういった話にのめりこんでゆくほどに、子育てというのは、不安でどうしてよいか分からないものである。自分が選んでよかれと思ってしたことが、逆効果であったらどうしようか、という思いである。となれば、誰か権威ある者が、「〜せよ」と命じたときにそれに従っておいたほうが気が楽である。そんな心理もあるらしい。
 この本は、科学的な本だと思う。医学に疎い私には、その原理的説明のすべてについてゆけるわけではないが、そもそも、つい最近まで無数の人間が子どもを育てるときは、母乳が基本だった。母乳が悪いはずはない。その母乳をどうして無理に「断乳」などと称して、ある特定の時期に止めさせなければならないというのだろうか。欧米人並の体格にするためには、早くから母乳に頼らず食事を摂らせる必要がある、と盛んに言われていた。そこへ、ミルクや離乳食を作る企業が加わった。あるいは、そういう企業があったから、そういうスローガンが作られた、と勘ぐりたくもなる。母乳が与える安心感のようなものも含め、それを悪者のように考える必要は、たぶんないはずだ。あるいは、体のスタイルが悪くなるから、と女性が授乳を避けようとした心理も重なるのかもしれない。どうしてこんなことになったか、については。
 近年のアトピー体質の子どもの増加は、危機的ですらある。何か背景があるはずだ。昔もアトピーっ子はいたが、認識されたり話題に上ったりしなかっただけだ、という人もいる。しかし、増加しているのは間違いないように思われる。成長過程における子どもの、どこか心の歪み――報道機関が好きな「心の闇」という表現もそれだろう――もまた、こうした幼い時期の食べ物を始め、愛され方や生活環境に一因を有つことは、否めないのではないかと思う。だからといって、それらを「犯人」に仕立て上げるつもりはないのだが。
 この本に従うかどうかは、読者が判断すればよい。むやみに保健所に反対するのもどうかと思う。しかしまた、むやみに保健所の言いなりになるだけでよいのか、とも思う。要は、自分が子どもと向き合い、子どもを観察し、自分も成長させてもらう思いで、共に過ごしてゆくことである。それは、親自身が責任をもつという行為である。
 そのための一つの素材して、こういう本で刺激を受けるのなら、結構なことであろう。多分にこの本は、生きるための基本が記されている、と受け取ることもできるのだから。ごく当たり前の、生きるための基本。それは、とりもなおさず「生きる力」と呼んでよいことなのかもしれない。




Takapan
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