本

『赤毛のアンの世界』

ホンとの本

『赤毛のアンの世界』
M.ギレン
中村妙子訳
新潮文庫
\705+
1986.6.

 赤毛のアン誕生100周年記念で復刊したのだという。200頁ほどの文庫本だが、赤毛のアンについての知識が多少なりともあれば、読むのに苦労はいらない。多くの頁が写真なのだ。原典の写真も多いようだが、カラー写真は新たに撮影された美しい風景である。
 ギレンは、モンゴメリが生涯文通をしていた同志の遺品を整理していたときに、大量のモンゴメリの手紙を見出したからだという。そして、モンゴメリ伝も執筆するようになったという。本書は、簡潔なものであるが、的を射た叙述で、過不足なくその魅力を映し出すことに成功していると感じる。
 文章は、訳の巧さの故かもしれないがとても読みやすく、叙述の展開もスムーズで理解しやすい。本全体もなだらかな時間順でまとめられているため、素直に読める。また、ところどころアンの物語を読んだことがある人ならばピンとくるような、ちょっとくすぐるような表現も交えてあるため、ファンは気分良く読み進めてゆけるに違いない。
 もちろん、「まえがき」は全般的なことを記す。『赤毛のアン』の原稿を送り、それが認められて出版の約束ができたという手紙をアップデートまず掲げる。このとき、「モード」という名前の説明をする。「家族や友だちからはモードと呼ばれていましたから、この本の中でもそう呼ぶことにしましょう」と真っ先に掲げ、その通り本書はひたすら「モード」と彼女のことを呼びながら話を展開する。だから、この「まえがき」だけはまず呼んでおかなくてはならない。
 この『赤毛のアン』の物語、原題からすると「緑の切妻屋根のアン」の物語は、悪くないと本人が思いながらも、友だちへの手紙の中ではやや謙遜した言い方をしていたそうだ。だが、これは世間で大評判になる。それは、その後80年も経ってなお、愛読されようとはは思いもしなかっただろう、と言って「まえがき」を結んでいる。  そして、原書の数々の資料的な写真と、新たに加えた現地の風景のカラー写真がふんだんに取り入れられた、まるでステキな絵本のような、モンゴメリの伝記が始まるのであった。
 この写真を活かすため、文庫本全般が写真に相応しい厚手の光沢紙でできている。200頁だとやや高い価格のように見えるが、それはこの紙質を考えると、むしろ安いようにも感じられる。
 少女時代のモードから始まり、その生い立ちと環境についてたっぷりと伝えることで、読者は、どうしてもアンとのつながりを見ようとしてしまうだろうし、著者もそれを狙っていることは間違いない。やがて詩作に目覚め、その機知と、ありきたりのものにただ無為に従うのではなくて、自分の頭でしっかりと考えて行動する気風が備わる人格の成長が、生き生きと描かれる。
 作品が世に出、もしかすると機会がないかも、と案じていた結婚も、世間よりは遅かったかもしれないができて、牧師夫人となる。だが日本の小さなプロテスタント教会とは異なり、牧師夫人が女性信者のリーダーとして無給で教会に奉仕しなければならないといった暗黙の了解があるわけではなさそうではあった。その中で、一日一定の時間、机に向かう時間を得て、作品を綴り続ける。その筆蹟がただ原稿として紹介されるというのではなく、筆蹟鑑定をしてもらった、というエピソードが面白かった。筆蹟を送ると、モードの性格を確かに言い当てたような返答が来たようだが、本当に当たるのだろうか。いまでもあったら面白いかもしれない。モードの英字は、必ずしも読みやすいというものではないが、横に長く拡がったような筆記体は、独特であるようにも見える。
 私は、松本侑子訳で、アン・シリーズ8冊を読んだ。これには実に細かな注釈(ノート)と、作品とモンゴメリについて、手厚い解説を毎巻たっぷりと付けており、それを全部読んだおかげで、本書の内容は大抵はもう聞いたことのあるエピソードばかりであった、とも言えるし、だからこそ、本書が読みやすかったといま言っているのかもしれない、とも思えた。
 但し、モードの信仰については、立ち入ったことを松本侑子氏は強くは書いていない。長老教会とメソジスト教会との関係や政治的な意見について、また戦争についての考え方など、その「ノート」で詳しく調べてあることは見事だし、妖精の存在を作品の中でにおわせているのは、モンゴメリの必ずしも聖書に制限されないファンタジーの捉え方が出ていることや、牧師夫人となってからの作品の中には、そういう要素が削られ、聖書の引用が多くなっていることなどか解説されていた。
 だが、それはいくら調べても信徒とは言えない松本侑子氏からの見え方である。そこへいくとこちらキリスト教文化を背景として記す立場は、信仰についてもっと突っ込んだあり方を示している。モードは、「毎日曜、教会の礼拝に出席し、教会のあらゆる会合、親睦会、バザーなどに参加し、日曜学校で教えていた」のだが、「人前で声を出して祈ることを必要だと思って」いないこと、だが広い自然の中で「お祈りを感じる」ことを知らせる。また、息子の教理問答を見て、神の創造のわけを「神の栄光のため」と息子が覚えようとしていたところ、モードは、それは「神さまに対する誹謗」だと嫌悪する。「神さまはすべてのものを、それをつくるのがうれしいから、お好きだったからおつくりになったのよ」と、「世界の美しさこそ、モードの霊感のみなもと」であったことを明らかにする。
 すでに、原子力エネルギーの発見が話題になっていた。モードは、時代が大きく変わろうとしていることを見抜く。その後、私たちはそのことの証人となったと言えるであろう。モードは、第二次世界大戦が始まった頃のことまでは知っている。確かにその大戦は、時代が大きく変わったことを以て、終結したのだ。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります