本

『愛すること、生きること』

ホンとの本

『愛すること、生きること』
M・スコット・ペック
氏原寛・矢野隆子訳
創元社
\1800+
2010.9.

 心理学方面で有名らしく、とくに本書は、アメリカで大ベストセラーとなったものであるということだ。また、邦訳も一度たいそう話題になり売れたものであったが、生憎そのときには抄訳に過ぎなかった。今回、かなり分厚い形で邦題も替えて出版することとなっている。おとなしいタイトルになった感もあり、営業的には前回ほどにはゆかなかったのではないかと危惧するが、売れ行きはともかくとして、中に取り上げられた心理カウンセリングの実例の数々は、日本ではそういうことはあるかしら、と思わせるものもずいぶんあった。
 アメリカでは、心理カウンセリングは風邪薬を買う程度に受けるという話も聞いたことがあるが、なるほどそのようなものであろう。その中で、さらにアメリカ的な精神文化や生活習慣があり、私たちにそのまますべてが当てはまるというふうには考えられなかった。どこまでも、アメリカのドラマや映画の中にぴたっと当てはまるような事例が並んでいて、共感するというほどにまでは至らないのではないかと思えるのと、それから、とくに後半であるが、背景にキリスト教思想がかなり混じってきつつ話が運んでいくので、日本の読者にどのように響くかは分からないと思った。事実、そのような点で、最初の邦訳は抄訳としていたのではないだろうか。
 ところがこのキリスト教と言ってしまいはしたが、私の見立てでは、それはキリスト教会が聖書を用いて勧めている信仰生活のようなものとは、ずいぶんと違ったものである印象が、私には本書の比較的初めのほうから感じられてならなかった。後半になると、それは間違いなくそうだと言えるというように思えてきて、これはうっかり日本のキリスト教の信徒が教会とはこういう教えなのだというふうに読んでしまうと、よろしくないのではないかと考えるようになった。具体的にはここでは触れないが、少なくとも正統的信仰ではないことは確かである。
 それにしても、具体的な事例が多い。該当者のプライバシーが守られているのかどうなのか一読者には分からないが、もちろん名前は出さないまでも、生々しい対応とその人の生活ぶりが描かれる。
 それらの描かれ方は、特別な秩序があるようには見えない。全体は4つに分かれており、訓練・愛・成長と宗教・恩寵と続く。確かに後半は宗教的な概念から書かれる部分が多々あり、一般の日本人にはウケないところが多いかもしれない。クライアントがどのような宗教観をもち、どのような宗教環境の中にいるかということの理解がないと、その事例を見てもどう評価してよいか分からなくなるのは本当だろう。また、その悩みの中で、愛とは何か、悪とは何かという意識が関わっている場合も見られ、果たして日本人の中にそういう意識で悩んでいるケースがあるのかどうか、またそういう悩み方に読者が共感を覚えるのかどうか、確かに疑問であろう。たぶん人間関係というのが一番の悩みであろうから、やっぱり本書に熱心に挙げられた悩みの数々は、どこか他人事のように見えて仕方がない。私でもそう思うくらいだから、宗教についてあまり考えたことがないような読者はなおさらではないだろうか。
 確かに、これは心理学的な問題の本であり、宗教を説くものではない。日本の仏教思想のように、生活をなんとなく全部貫いているかのような空気を以て宗教と感じるのとはまた違うかもしれないが、キリスト教というのは、西欧諸国にとって、こちらの仏教のように、さして信仰しているという人は少ないが、生活の隅々まで、また精神風土にも影響を受けているという事情ではあるまいか。しかし、救いがキリストにあるなどということで解決しようとはもちろんしていない。何か温かい強い力に懐かれて、安心できるのだよ、という、いかにもスピリチュアルな本にありがちな傾向は、必ずしも日本だけではないのだというふうにも思えてくる。
 なお、読んでいくうちに、著者自身が心に疵をもち、何か歪められた経験をもっているのではないか、という疑いがどんどん強くなっていったが、やはりそういうことだったのだということが、後に分かっていった。その辺りも、本書を読み解くためのひとつの鍵になるかもしれない。




Takapan
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