本

『愛をみつける』

ホンとの本

『愛をみつける』
井上洋治
潮文社
\1165+
1993.8.

 カトリックの神父でもあるが、文章が巧く、多くの著作が人々に愛されている。信仰に基づいた随筆めいた文章の味わいは絶妙であると言ってよいだろう。
 タイトルだけで惹かれて取り寄せた。もとより日本人の心情を大切に捉えて、そこに響く福音の言葉というものをおそらく生涯のテーマにしていたであろうことから、誰の心にもすうっと入っていくことができるような語りかけ、そしてまた、それを聖書と結びつけるあたりのテクニックも、見習いたいものである。
 内容は、直に触れて味わうことをお薦めするが、これだけはお知らせしよう。ひとつのテーマが6頁から20頁くらいの長さでまとめられていて全部で18の文章があるのだが、その一つひとつのタイトルの中に、品性を感じるのだ。「愛のたゆたい」からまず始まる。「愛のほのぐらさ」とそれが続くなどあり、「遠きものへの郷愁」「そっと横にすわる」「光の前にたたずむ」など、情緒的に過ぎると言われるかもしれないが、それぞれ美しいタイトルとなっていると思う。そしてそれこそが、井上神父の意に適うところであるのではないかとも思う。
 身近な出来事を通してのこともあるし、ただただ心に思いついたことからということもある。哲学を学んでそうした思考の訓練を受けた者ならではの、深みと視野の広さ。また、どこに立ってものを言っているかも分かりやすく、時にわがままで、しかもそれを断るあたり、自分の立場をよく振り返っていながらの叙述であることを強く感じる。私はそういう配慮が好きだ。
 それでいて、自分の根本的な聖書観についても、実はさりげなくちゃんと述べている。たとえば、「真の己れを大切にし、人を大切にして生きてごらんなさい。そうすれば、あなたは、神を、全体をいかしている生命を見出すことができるのだ」というところに、「イエスの私たちにいいたかったこと」があるのではないかと言う。「生涯イエスを追ってきた今、私はそうしみじみと思っている」のだと続けて告白しているので、間違いなくこの見方を大切にしているのである。
 そのイエスの生き方についても、「私は、この人に石を投げ、人を審く姿勢に何よりも強く、生命を賭けて反対し、人の心かけがえのないものとして大切にする悲愛(アガペー)の心を生きぬいて、そのために殺されていったのが、私の生涯をとらえたイエスという人物の生きかただったと思っています」というように告白し、そのイエスの念願を、「人々に本当の意味での、心の自由と幸せと平和を伝えたい」というところに見出しているが、それはおそらくは著者自身の信仰であり、人生観であり、およそ最も大切にしていることではないかと感じる。
 また、隣人を愛するその愛について、「イエスは、この愛によってこそ、人は初めて何ものによっても動かされることのない確固たる心の平和をつかみうるのだ、と核心しているように思える」とも言っている。
 聖書の様々な場面を描きながら、聖書をいくらかでも知る人にはより一層しみじみと感じさせるもの、いや、多分に、ハッとされられるものが、その綴られた言葉からは醸し出されてくるから不思議である。私もそのようにして、目を開かれる思いが幾度もした。それは、著者の強い信仰の自覚というところにもあるのと、日本人を殊更に意識しない中でなお、日本人に気づく可能性の高い見え方のする角度から、そっと神の世界を垣間見せてくれる、そんな無意識のテクニックにあるのではないか、というふうに、少し気障に考えてみた。
 何冊か井上神父の本を見たことがあるが、その中でも非常に近づきやすい本であると思うし、いつの間にか心にそっと忍び込むものを隠している、そんな本であるように感じた。なにしろ、話題は「愛」なのである。きっと、読者は誰でも、そこに愛をみつけることができるのだろうと願いたい。




Takapan
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