本

『山本七平の旧約聖書物語・上』

ホンとの本

『山本七平の旧約聖書物語・上』
山本七平
ビジネス社
\999
2005.4

 下巻を読まずしてここに紹介するのは無責任かもしれないが、さしあたり読めた部分で綴ることにも意味があるかもと思う。
 もう亡くなって十数年が過ぎる。独特の世界を築いた山本七平氏は、その後の世界をどう天から御覧になっているだろうか。私たちも、氏の警告を受け止めずしてのらりくらりと生き延びているだけなのではないだろうか。
 著者は、戦争体験から日本を憂い、聖書の世界に日本の未来を問うようなやり方で、世の人々に警告を与え続けた。この本は、かつて徳間文庫より刊行されたものを改めてビジネスの世界の人々に問いかけた出版の仕方をしたものである。
 たんなる福音主体の聖書の導きではない。ユダヤ人が聖書を目の前にしたときに、どんな世界像がそこにあるのかということを、私たちに可能な限り伝えようとした、氏の視点が現れる。聖書とは何か。聖書の知恵は日本に何をもたらしうるか。氏の格闘の様子が、この本を通じて伝わってくる。
 モーセ五書については、本文云々というよりも、その文化的背景をふんだんに紹介してくれる。たんなる『聖書』に限らず、当時の中近東世界の文明や文化全般において、聖書の言葉を捉える。
 礼拝説教だけで過ごしているクリスチャンも、こうした研究を一度御覧になるといい。山本氏の説明がすべて正しいかどうかは別として、イスラエルという文化自体がどういうものであったのか、キリスト教というフィルターなしに見ることには、知的のみならず、霊的にも、大いなる刺激がある。
 私は、その視座が好きだ。聖書を、ただ新約からのみ見ていては、気づきにくい光景が、明らかになっていく。なんだ、そういう意味だったのか。そんな声が聞こえてくるような、いわゆる旧約聖書それ自身の視点を、簡潔に説明してくれる本なんて、なかなかないのだ。
 神の義は現世において実現しなければならない、というのがイスラエル本来の思想である――そういった説明には、改めてドキリとさせられる。
 こうした解釈は、一見正当な福音信仰から外れるように思われがちである。だが、イエスがどういう思想的状況の中で、あれだけの活動をしていたのか、ということの理解、もっというと、イエスの行為や発言の意味背景といったものが、イスラエル本来の考え方にあるのだ、ということに気づくなら、安易な福音主義的な解釈に「曲げる」ことのほうが、よほど問題が多いことを感じることだろう。




Takapan
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