本

『ウィキペディア革命』

ホンとの本

『ウィキペディア革命』
ピエール・アスリーヌ等
佐々木勉訳
岩波書店
\1785
2008.7

 ウィキペディア。けっこうお世話になる。
 学生が、ここからのコピーペーストでレポートあるいは論文を作っていくということが、教育現場での悩みの種となっているそうだ。そんなバカなことをしてもばれるだろうし、ばれた時の制裁や失うもののほうがよほど大きいだろうと思うのだが、学生にしてみれば、こんなに簡単に情報が集まり体裁が揃い、確実な情報で仕上がる方法もないものだ。
 しかし胸に手を当ててみれば、私自身もそうなのだ。先日もある人物のフルネームを確認したくて、ウィキペディアを利用した。ほんとかなと思いながらそれを貼り付けておいたのだが、やはりと思い直して調べ直すと、どうやら読み方が違う。見ると、ウィキペディアのほうでも、名前の読み方で議論が起こっていた。
 たんなる利用者たちが執筆した記事に、どれほどの価値があるのか、と訝しく思う方もあるかもしれない。だが、その道に詳しい者が記すのには、それなりの情熱がある。実にマニアックな視点で情報を提供してあることも少なくないのだ。
 とにかく、通り一遍のあらましを知るために、こんなに都合のよいサイトもないのだ。使わない手はないだろうと思う。
 だが、この本のフランス人の著者たちが「そこで何が起きているのか?」というサブタイトルを付けているのを見ると、単純な肯定でもなければ否定でもないという雰囲気が窺えた。
 ウィキペディアの使用法でもないし、その機能の様々な面を網羅して論じていくものではなく、その情報が信頼が置けるかという、実はこのサイトについての肝腎な論点が詳しく検討されていく。
 様々な実例も盛り込まれている。どのような誤りの例があるのか、そして改竄の方法があるのか、などにも触れられる。
 これを利用するのに賢明であるためには、どうすればよいだろうか。問題点はあるにせよ、すべてが無意味だというわけではない、ウィキペディア本体である。うまく利用すれば、様々な知の構築に役立つことは間違いない。
 この本は、フランスにおける本である。フランスにおける知識百科とくれば、ディドロを思い起こす。筆者たちは、このディドロについての章も置くことを忘れてはいない。そのように、フランスという地盤ゆえに、また日本における、あるいはアメリカにおける、ウィキペディアの捉え方とは、また違う捉え方がそこにあるかもしれない。だからまた、私たちは私たちなりに、ウィキペディアと日本という視点から何かをつないでいくことができるかもしれない。
 それにしても、ウィキペディアから集めた資料でこしらえたレポートなど、本当にあれば、すぐに見れば分かるような気がしてならないのだが、若者たちも、そのような見え見えの方法で楽をしようだなんて、考えない方がよいような気がする。




Takapan
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