『文学は何の役に立つのか?』
平野啓一郎
岩波書店
\2500+
2025.7.
「デビュー以来、大体、四、五年に一度くらいのペースで、方々に寄稿したエッセイや批評の類いを単行本にまとめてきた。」こうして始まる「あとがき」は、最初に読んでもよいかもしれない。おおよそ「文学・芸術論」に傾いていること、岩波新書の内容と重ねるとよいかもしれないことなどが書かれている。この間、『本心』などを執筆していた時期であるというが、『三島由紀夫論』の刊行があったことも記されている。これは、本書の内容に大きく関わっている。
但し、「何と言っても、新型コロナウイルスの流行と、第三次AIブームとが大きかった」というのは本当であろう。そのとき、筆者の基本的な「反「自己責任」論者」であることや、「分人主義者」であることなどが明言されている。これらは、文章を最初から読んでいても当然分かるが、こうしてまとめてあると、心構えとして受け止めておくことができるだろうと思う。「分人」というのは筆者の造語であり、「個人」の対照語である。「個人」とはたとえば英語では、「分けられないもの」という意味から構成された語となっている。しかし人間を分けられないとする見方そのものに問題があると指摘し、人は生きる場面に於いていくつかの顔をもち、別の人格であるかのように振舞うのが通例である。そこを重視して、人間を見つめるのである。
それから、「追悼」の意味合いが強いことも説明してある。ドナルド・キーンさん、古井由吉さん、瀬戸内寂聴さん、大江健三郎さん。自身に関わり、また憧れていたような方々の名が並ぶ。そのことは随所で記されており、その点を綴った文章が載せられているが、別に実際に「弔辞」として読まれたものも、最後に集められている。
それにしても、タイトルが強力である。「世界は大きく揺れており、文学の意味、芸術の意味がいよいよ深刻に問われている」と、「あとがき」の最後で問うている。その背後には、一方的な「役に立つ」という概念によって、大学から追い出されようとしている政治的情況についての、強い批判が伝わってくる。
標題の「文学は何の役に立つのか?」は、本書の冒頭に置かれているが、2019年11月23日に、明治大学にて、国際研究集会「文学のサバイバル――ネオリベラリズム以後の文学研究」が開かれたときの基調講演であることが記されている。
必ずしも、筋道が決まっているわけではない。文学が衰える中で、現実に何をするために役立つのか、という点では、解答が出ているわけではない。社会を変えるという力が、ただ文学だけにあるわけでもない。具体的には何も分からないままであるのだ。だが、それを問いかけ、また思案する、そこに文学というものの領域があるのではないだろうか。文学は、パンだけで生きるのではない、というひとの命に、強く関わるのではないだろうか。
筆者はその中でも、三島由紀夫との出会いについて触れているが、多くの作家や文学についても本書ではいろいろ触れている。ノーベル文学賞を受けたハン・ガン氏についても綴っている。金原ひとみや遠野遙、成田龍一といった人についてもあるが、やはり先ほど触れた、瀬戸内寂聴のほか、森鴎外やドストエフスキーなど、重鎮にも真っ向から迫っている。映画にもなった『オッペンハイマー』のことにも、縦横に述べられているのはなかなか力があった。原爆開発について、後に苦悩することもあっただろうが、広島・長崎への投下については、日本人が期待するような形の感情が見られないようだ、としている。
その他、「国家」と「自然」については、短い「詩」のような文章だが、強烈に読者に印象づけるはたらきがあるように思われる。いったい「国家」というものが、「自然」の前に何ものであるのか。人間は問わねばなるまい。ただ、その「国家」とやらは、私たち一人ひとりが築いた一種の共同幻想であるのだとすると、私たち自身と無関係な巨大な組織、とばかりは言っていられないような気がしてならない。
その都度社会で話題になった問題や現象についても触れられよう。同時に、自分の中にある過去の出来事や考えというものも、あちこちで語られている。思い出話もあるし、自分の文学の出所のようなものについて吐露したようなものもある。文学についての趣味というか、好んだものが熱く語られることもある。別の本で論じたこと、たとえば「カッコいいとは何か」に関したものが綴られているとき、本のことを知らなければ、もうひとつ意図が分かりにくい場面があったかもしれない。しかし、ひとつの筋道に縛られないで、この数年間の空気の中で、平野啓一郎という人間が見てきたもの、考えてきたものは、同じ時代を近くで生きてきた私たちには、何かしらつながるところがあってよいし、あるはずである。完全にそれを読み解くのは無理ではあるかもしれないが、心の中を一度潜らせて、その風を感じるということは、読者の心の新陳代謝を促すことになるかもしれない。そして、何かしら、新たな視点に気づかせてくれるのではないか、と楽しみにしている。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド