本

『ヴァイツゼッカー大統領演説集』

ホンとの本

『ヴァイツゼッカー大統領演説集』
永井清彦訳
岩波書店
\1748+
1995.7.

 荒れ野の40年。これがもしかするとなかなか通じない世代になってきたのだろうか。感動的な演説であるが、日本の政治家あるいは政治屋は、これを意図的に無視している。日本の政治の場でこの演説が取り上げられたり引用されたりした記憶がない。あるかもしれないが、このスピリットは黙殺されているばかりである。
 へたをすると、ヴァイツゼッカーって誰か、とすら言われそうである。また、ドイツが東西二つに分かれていた、ということすら知らない若い世代の声が聞こえてくるかもしれないと覚悟している。生々しい記憶がないのはもちろん構わないが、今の世界がどんなところから形作られてきたかということに、無関心であってはならないだろう。
 まずは「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。」という言葉は掲げる必要があるだろう。1985年5月、最も有名な演説「荒れ野の40年」で初めから三分の一ほどのところで現れるフレーズである。その40年前、ドイツは敗戦を経験した。ヒトラーの自殺により、第三帝国の野望も崩壊し、遺ったものは破壊と責任、ユダヤ人虐殺の汚名ばかりであった。
 この有名な言葉は、心に刻み続けることの大切さと、それを理解するために助け合う心を、つまり過去を引き受け、過去に対する責任を明示した後、「問題は過去を克服することではありません」と言い、「後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません」と述べた次に出てくるものである。そして「非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」と続く。
 どうだろう。これを日本の与党政治家が持ち出したくない理由が見えてこないだろうか。ここで否定されていることをモットーにしている者にとって、このヴァイツゼッカー大統領の言葉は、できればこの世から消してしまいたい言葉であるだろうからだ。
 この演説の終わりのほうで、「ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました」と言っている。これも、ある種の新聞は決して口にしないばかりか、人に知られてはならないフレーズであると言えるだろう。
 この「荒れ野の40年」は、かつて岩波のブックレットになっていた。本書は、これに限らない。ここに掲載された11の演説は、10冊に集められ4000ほど数えるということからすると、ほんの僅かなものである。だが私たちにとってはまずこれで十分であろうと思われる。ここには、大統領時代の代表的なものが満遍なく集められているし、東西ドイツの統一へ向けての状況、つまりベルリンの壁がまだあった時代の空気を伝えるものがある。そしてひとつになることが決まり、首都をどうするかについての議論の中での意見を述べるところや、東ドイツとの関係についての思いやり溢れると言っていいであろう態度、また弱者へのヘイト活動や障害者を支える提言など、各種各場面での大統領の考えがよく伝わってくるものが選ばれている。
 どの訳もスムーズで、また配慮が行きとどいている。ドイツ語のニュアンスもさることながら、ヴァイツゼッカー大統領が独自に意味をこめて使う語を、漢字の横にカタカナでドイツ語を示すなど、よく考えられている。
 また、本書を手にして役立つと思われるものに、「訳者解説」がある。全部で260頁ない本の、40頁が解説なのである。まさに荒れ野の40年といったことではないだろうが、ここを読むだけで、ヴァイツゼッカー大統領とは誰かということが、もれなく分かるような気がしてくる。もちろん、本書の演説を読んだ上でここを見るからこそ理解できるというものだが、これだけでブックレットに十分なるであろう分量である。
 ヴァイツゼッカー自身は、自分は「神学者でも哲学者でもない」と言っているが、訳者はその「言葉」は「ことの端」などではなく、むしろ「ロゴス」であろう、と評している。ヴァイツゼッカー大統領は、キリスト教徒である。そして、その精神で演説をしている。たんにキリスト教文化圏だからというのでなく、自ら信じていることがあるが故に、随所でキリスト教の言葉が、またそのスピリットが漏れ出てくる。あの「荒れ野の40年」も、もちろんモーセによる出エジプトの旅が40年であったという旧約聖書の記事から出ているのである。他にも聖書の言葉や聖書の言いたいことが、ふんだんに登場する。もちろん政治的な手腕というものがあるから、例えば武器を手放して平和を得るというような考えはもっておらず、状況を鑑みても、兵器の必要性をもとに交渉や呼びかけで平和を築いていくことをモットーとしていたように見える。しかし、政治を司る者が信仰をもち、誠実であるということが、どんなに信頼をヨブものになるのか、その実例とも言えるこの方の言葉の数々に、決して古びないものを覚えるのだが、皆さんはどう思われるだろうか。政治的発言としてのみならず、信仰の問題としても、大いに考えを深めたいものがあちこちに輝いている。
 平成の始まりがこのドイツと東欧、そしてソビエト連邦の大変化であった。時を経て、その時の思想は、いくらかは古いとしか言えないものがあるかもしれない。しかし、普遍的なものも必ずある。いや、その理想については、私たちはまだ途上であるに過ぎないと言えるだろう。だからますます、私たちは過去に目を閉ざしてはならないのである。




Takapan
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