『10代の性行動と日本社会』
木原雅子
ミネルヴァ書房
\1890
2006.2
頭が下がる。これほどに、緻密に、粘り強く、情熱をもって、しかも建設的にこの問題医に取り組んだ人がいるのだろうか、と思えた。
誰もが評論家のように、訳知り顔で語る。私もまた、そんな一人に過ぎない。そして誰それが悪いとつねに他人の責任にして、まあなるようにしかならないでしょう、と自分はその問題から除外されているものと根拠のない安心感を抱いて終わりとなる。困難に陥った者は、自業自得だとか、不運だったとかいう白い目で見下ろすようにして。
気の遠くなるようなデータ収集の下に、著者は、たしかな時代の変化を見てとっている。憶測を交えないわけではないが、十分に根拠をもたせたデータを集めようとしている。気分や感情で処理しようとしていない。
あるのは、厳然たる事実。この無知による様々な傷はどうしたらよいのか。
リスクは、他人事である限り、何の教訓にもならず、自分にそれは及ぶことはない、と考える。全体としてのハザードは、この辺りに元凶する。
類書も世にはあるが、自らの保健室での体験であるとか、新聞やネットの情報を集めてコメントしただけのものとか、あるいは事実以前に自分の信念ばかりを書き連ねたものだとか、実用に耐えうるものが見当たらない傾向にある。まして、無責任なコメンテーター止まりの声の、如何に多いことか。
この本の狙いは、行政なり学校なり、家庭なりが、具体的に何をどうすれば、HIVや性病や中絶などを減らしていくことができるか、を明確に提示するところにある。紙面の都合で、それが果たして十分に説得力をもって届けきったかどうかは分からない。それは、本来まだ途上にあるゆえに本にすることをご本人がためらっていたという事情からも察することができる。しかし、一刻も早く、私たちは知りたいし、その意図を理解すれば、実際の運動を始めていくこともできるのである。本にしてもらって、よかった。
誰にでもリスクがあると知ること。丁寧な人間関係を築く努力をすること。著者は、若い人々にそのように訴える。どうかどうか、この本を、私たちの未来に関心をもつ人のすべてが読んでもらえないだろうか。事が起こってからの対策や、癒しも必要である。だが、無知ゆえに一生残る問題を背負うことのないように、予防するという目的のために教え伝えるだけでも、結果は大いに違ってくるものである。
ふと、キリスト教の伝道というものについても重なるように思えてならないことを自覚した。
行動段階には、無関心期・関心期・行動期・維持期に分かれるという。自分とは関係のないという意識の人に、知らせることにより、自分にはリスクがあると気づく関心期。ただし、まだ予防行動はとることができないでいる。予防行動をとり始めるのが行動期であり、それをさらに維持する段階へと至る。この分析は、伝道にもそのまま重なって然りではないか、と気づいたのである。
実に有意義な本である。真剣に考えたい本である。提案されているWYSH教育というものも、社会に浸透させていきたいものだと思った。希望の教育、生きる教育とでも表現してよいものだが、極めて政策的色彩の強い「生きる力」のアピールより、よほど実際的で、まさに懸命なる、教育の提案ではないかと感じたのである。